【暮らしの保健室 秋山正子さんインタビュー第2回】秋山さんの人を巻き込む魅力のルーツ

秋山さんの「巻き込み力」の秘訣とは?

 

――少し遡って、89年当時のことについてもう少し伺いたいと思います。
秋山さんは9人兄弟だと伺っています。89年にお姉さんが癌だと知ったとき、チームでの看護ケアはご家族でされていたんですか?

 

いえ、それは違います。

近所の方を含めさまざまな方に手伝って頂きました。

今でこそ当たり前なのですが、当時ではこんな風な組み合わせはなかったのですが。

 

――その当時からいろんな方に協力をあおいだという形なんですね。ご協力いただく際にはどういった所に注意されていましたか?

 

直接のケアもそうですが、例えばチームやネットワークを作るためには調整する力が必要です。

そういう意味では、調整せざるを得ない環境に置かれたのはよかったのかもしれません。

 

――「調整」というと、連絡をとること自体もそうかと思うのですが、「~してください」といった業務的な振り分けもされていたのですか?

 

例えば、男性だけの家族で主婦が寝付いたときに、「食事は誰が作るのか」となったとします。

そうした場合には、誰かに頼まないといけません。

その時、誰にどのように頼むのかを考えてみると、「~してください」という方法ではありません。

少しお金を払って来てもらった時は、「~してください」でいいんですが、近所の方がご厚意でおかずを届けてくれることもあったりします。

そういう人と人の関係が大事になります。

 

また、連絡に関しては、遠方になりますので、テレビ電話を使ったりもしました。

今ではスカイプが普通かもしれませんが、当時はすごく大きなテレビ画面の電話でした。

 

――テレビ電話を利用した遠隔医療のような概念は当時まだなかったですよね?

 

そうですね。

遠いところに呼ばれてもすぐには行けないので、それを何とかしようということで、テレビ電話を使いました。

必要に駆られてそうしたものが生み出され、実際にやってみる、という形です。。

実は、この必要に迫られてやってきたことが、先端だった。

先端だからやりたいのではなくて必要だったからやった

それが、傍(はた)から見れば新しい道を作る状態でした。*

 

* 当時秋山さんが行っていた「チームでのケア」の取り組みは、現在叫ばれている「多職種連携」そのものです。詳しくは、「在宅ケアの不思議な力」という書籍をご覧くださいませ。

 

――お話を伺っていて、改めて秋山さんの「他人を巻き込む力」に驚嘆しているのですが、さまざまな取り組みをするうえで、「前例が無いこと」による障壁はありませんでしたか?

 

障壁というよりも、もうその当時は時間に迫られていたので、「やるしかない」というのが本当のところです。

やらないで悔いが残るくらいならやって失敗する」といった心持ちでしたね。

 

「病院信仰」と「看取る文化」

 

――ご自身の体験を踏まえて、最後を看取るのは大事だと思いましたか?

 

在宅での自然な見送り方」を経験したことは、私にとって大事な要素だと思います。

 

父が亡くなった当時、うちの母は、「父が生きられるのはせいぜい3~4か月で、長くても6カ月」という余命宣告を受けていたそうです。

しばらく入院していたのですが、家に連れて帰ってくることになり、結果として1年半看ることが出来ました。

そのため、十分に世話をして非常に穏やかに亡くなっていった上に、がんの痛いといった感じはないし、食事もとっていたし、子供の私たちとしてはてっきり老衰だと思っていたくらいでした。

 

だから、がんと聞いたときは驚きました。

実を言うと手術後に人が変わったように認知症の症状が出たので、逆に痛いとか苦しいとかよりも老衰のような形だったと思います。

 

本当に母親はよく面倒を見ていました。

父は71歳で当時はとても高齢の中、みんなが揃っている中で亡くなったんです。

そこで初めて「人が亡くなるってこうゆうことか」と知り、それから看護の道に進みました。

最初は在宅の方に進もうという気持ちはなくて、普通に勤めていましたけれども。

 

―在宅での看取りが減少した理由には、社会的な変化もありますよね。俗にいう「核家族化」によって在宅で看取ることがなくなってきている面は大きいでしょうか?

 

それよりも、病院に行けば何とかなるだろうとする「病院信仰」とでもいった部分を感じています。

病院がすべてだと思われている方が多いですね。

今は8割くらいの方が病院で亡くなるわけですので、自然に亡くなる様子を見る機会が少ないですよね。

また、病院ではモニターが付いて点滴が入っていて・・・という状況なので、いつ・どんな様子で亡くなっているのかよくわからない。

昔は、そろそろ亡くなりそうだというのを医者だけでなく皆が感じていました。

「そろそろ見送りの準備をしよう」と周りが感じ取ることが普通でした。

そういう「看取る文化」が消えているので、もうすこし取り戻さないといけないかなと思います。(第2回:完)

 

※第3回インタビュー(「自立支援」の本当の意味とは? ~マギーズ東京プロジェクトの本義~)へと続く

 

 

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