えいる訪問看護ステーションが目指すもの ~病棟看護師時代の「壮絶いじめ」体験を超えて~【佐藤友紀代表インタビュー1】

 

「おーい、看護師いないぞー!」と。(笑)

 

こちらとしては何が何だか分からない中、「任せた!」と言われたわけです。

そして、就職した当日に「新しい利用者さんが決まっているから、契約をしてくれ」と言われまして。

私はずっと下っ端でやってきたわけですから、もうアドリブでなんとかその後を凌ぐしかなくて。(笑)

 

そのステーションは本当にゼロからのスタートで、私自身も知らないことの連続でした。

ずっと勉強しながら追っかけ続けて、結局2年半ぐらいその会社に居ました。

ただ、その間に9つの訪問看護ステーションを立ち上げたのは非常にいい経験が出来たと思っています。

 

――すごいですね・・・!

 

3箇所目あたりまでは、知り合いや友人を集めて運営していきました。

そのあたりで、管理業務がなんとなく分かってきたように思います。

 

ただ、自分が立ち上げるためにはまだ知識が足りないと思い、運営本部に無理を言って、一緒に出店の活動をさせてもらいました。

そこでは「こうやってやるんだ!」という気づきがたくさんあり、以降の後半戦は、もう自分でステーションを出していって。

自分でPDCAを回しながら、全部で9つのステーションを出した時に、「自分でできるかもしれない」という感触を得ることが出来ました。

 

そうして、起業という新しいステージへ踏み出す決断をしたという流れです。

 

――起業するタイミングでは、スタッフは何名か付いてきてくれたのでしょうか?

 

いいえ。

ただ、私が恵まれていたのは奥さんが看護師だったことです。

ステーション運営には(常勤換算で)2.5人が必要、つまり実質3人が必要になります。

しかし、私の場合は3人のうち、私と妻で2人が確保できていたことになります。

そこで、友人に頼んだところ運よく働いてくれる人が見つかり、なんとか常勤3人分が集まった形です。

奥さんとは「いつか訪問看護やりたいね」という話をしていたので、そこはすごくラッキーなことだと思います。

 

しかも開設場所は奥さんの実家です。

将来のこともあるし、ちょうどいいんじゃないかということにもなったので。(笑)

もちろん、私が事前に人口や介護度、訪問看護ステーションの数などを総合的に調べた際に、小金井市(=奥さんの実家の所在地)に圧倒的に訪問看護ステーションが不足していることが分かっていたことも場所選びの大きな理由ではありますが、それを含めて本当に恵まれていたと思います。

 

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