利用者が絶えない「えいる訪問看護ステーション」の経営手法【佐藤友紀代表インタビュー2】

 

えいる訪問看護ステーション佐藤 友紀代表インタビュー第2回です。

 

第1回では、えいる訪問看護ステーションの由来、大学病院時代の苦い体験を含む起業までの道のり、起業後の苦悩などについて伺いました。

※第1回記事:えいる訪問看護ステーションが目指すもの~病棟看護師時代の「壮絶いじめ」体験を超えて~」

 

さて、第2回の今回は、ふたたび過去に遡り、「佐藤代表がなぜ看護師になったのか?」というご質問からスタートします。

その後、佐藤さんのマインド、モチベーションの源泉を紐解きながら、実際の訪問看護ステーションの運営手法や今度の目標に展開していきます。

 

今回も、「こころ」と「技術」の双方の観点から、非常に貴重なお話を伺うことが出来ました。

特に現役看護師の方にとっては、共感するお話が多いのではないでしょうか。

 

「えいる訪問看護ステーション代表 佐藤友紀」

☆えいる訪問看護ステーションHPはこちら

 

えいる訪問看護ステーション・佐藤代表が看護師になったワケ

 

――過去に遡りますが、看護師自体にはどうしてなろうと思われたのでしょうか?

 

要因としてはいくつかあります。

 

1つ目は、小学生の時に1週間ほど胃腸炎で入院した際に、看護師さんや医者の「人を助ける」仕事に興味を持ったことです。

 

2つ目は、後で考えればの話になりますが、母親が看護師だったことのように思います。

母は、私が物心ついた時には看護師ではなく看護学校の先生をやっていました。

その関係で、よく学生さんから「佐藤せんせー!」と電話がかかってきて、私もその電話を何度かとったことがあったりしました。

とにかく凄く慕われた人だったので、「看護って面白いのかな?」というイメージは持たせてもらったと思います。

 

最後に、これが一番大きいかと思いますが、おばあちゃんが脳梗塞で倒れたことです。

これも小学校の時分ですが、両親が共働きで、おばあちゃんと2人で日中を過ごすことが多かった私にとって、かなり衝撃的な出来事でした。

その時に、「自分の大事な人になにか起きた時に最低限の対処をして助けられるようになりたい」「せめて最低限の知識を医療者として持ちたい」、こう思ったのが事のはじまりです。

 

色々と悩みましたが、最終的には、「人とコミュニケーションをとる仕事がしたい」ということがあり、1番患者さんに身近な看護師の道を選びました。

ただ、最近の話でいえば、リハビリの勉強を続けていたりと、理学療法士やリハビリにも興味を持っていまして、訪問先でリハビリを行うこともあります。

 

――利用者からすると、看護師さんが色んな領域をカバーしてくださるのはありがたいことだと思います。今のお話を伺っていて、佐藤さんは辛いことがあってもポジティブに考えられる方かと思ったのですがいかがでしょうか?

 

どちらかというと、ベースは人見知りがスタートでした。

小さい頃は、誰にも見られてないのに周りが気になっておどおどしていました。

しかしある時点で、結局誰にも言うほど見られていないことに気づいて。(笑)

その辺りからあまり人目を過剰に気にすることはなくなりました。

 

それからしばらくして、中学生ぐらいの時には、友達の輪なども気にせず、誰とでも関わるようになったかと思います。

ですので、根は多分ネガティヴで、ポジティブシンキングで武装しながら過ごしてきたと自分では思っています。

 

▶ 次ページへ:佐藤友紀のポジティブシンキングについて

 

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