【ホームホスピス神戸なごみの家(代表)松本京子さんインタビュー第1回】「暮らしの現場で看護の力を」

 

ホームホスピス神戸なごみの家と訪問看護ステーション、デイサービスなどを経営・管理される松本京子さんにインタビューに伺ってきました。

ご活動内容からもご想像できるかとは思いますが、お話の内容や話しぶりからも松本さんのバイタリティあふれるご姿勢がひしひしと伝わってきました。

この第1回では、そんな松本さんが現在何をしているのか、どういった経緯で現在に至ったのかという点についてご紹介致します。

 

本記事の目次

松本京子さんプロフィール

 

松本京子、訪問看護、インタビュー

 

  • 阪神淡路大震災まで神戸市立西市民病院勤務。
  • 避難所の支援活動を経験した後に在宅看護の道にすすむ。
  • 1997年4月 神戸市北区で聖隷福祉事業団 訪問看護ステーション開設【 管理者 】
  • 1999年7月 医療法人立訪問看護ステーションわたぼうし【 管理者 】
  • 2004年4月 同法人にて有床診療所ホスピス希望の家開設に従事し入院と在宅を統括する【 管理者 】
  • 2008年   緩和ケア認定看護師の認定取得
  • 2008年11月 (株)なごみ 代表取締役 訪問看護・居宅介護支援・訪問介護事業開設
  • 兵庫県看護協会訪問看護認定看護師教育課専任教員兼務
  • 2009年2月 任意団体 ホームホスピス 神戸なごみの家開設
  • 2011年9月 NPO法人取得し、NPO法人 神戸なごみの家
  • 2012年3月 日本福祉大学大学院 社会福祉学研究科 社会福祉学専攻修士課程修了
  • 修士論文「ホームホスピスにおけるケアの内実」
  • 現在に至る。

出典:kaisyuf.jp

 

松本京子さん 現在の事業・業務内容について

 

――現在行っている事業の内容は?

 

株式会社として訪問看護・介護/居宅介護支援事業/デイサービスを、
また、NPOとしてホームホスピス3軒と、カフェ「暮らしの保健室」を運営しています。

 

――ホームホスピスは、何年で3件まで拡大されたんですか?

 

7年ですね。

「神戸なごみの家」の7年』という本も最近(2015年12月)書きました。

この7年間はあっという間でしたね。

 

――ご活動の特色というと?

 

特色は2つです。

訪問看護ではやはり、在宅での緩和ケアに力を入れています。

一方、ホームホスピスに関しては、在宅と同じように病気とか年齢に関係なく居宅で最後まで過ごすことが出来るようにす

というのが私たちが目指しているところなのですが、それでも在宅でのケアが難しい方が、「なごみ」に来て共同生活をしながら生きていかれることを支援するということを行っています。

 

――あくまで訪問看護を利用して家で看取れる人は家で、というのが第一義的にあると。

 

そうですね。

だから、訪問看護に行ってる人がホームホスピスを利用するというわけではないです。

 

――やっぱりそこは分かれるんですね。

 

分かれますね。在宅にいる人は最後まで家にいますので。

それで構わないと思います。そこが住み慣れた我が家であれば一番良いと思うので。

ホームホスピスでは、(患者さんの)多くは病院からの紹介です。

家に帰るのは無理だっていう人たちが最後まで安心して暮らせる場所です。

 

――在宅からホームホスピスに来られるケースはありますか?

 

在宅からホームホスピスホスピスへの入居は、たまにあるくらいで、在宅もホームホスピスも病院からのご紹介比率が圧倒的に高いですね。

 

松本さんが看護師になった理由

 

――松本さんの個人的経歴の話をお聞きしますが、看護師になって何年になられましたか?

 

40年です。

 

――すごいですね。。。そもそも看護師になられたのは?

 

経済的に自立できる職業だからです。

九州の田舎で生まれ育って貧乏でしたから。

あと、母親が看護師だったというのもあります。

やっぱり女性がこれから自立するには、手に職をつけないといけないということで、看護師になりました。

 

――最初、病院でのやりがいはいかがでしたか?

 

私はどこにいっても結構楽しめるタイプですので、どこの職場でもそれなりに順応できたと思うし、そんなにつらいと思う事はなかったですね。

昔、私が就職した頃は、労働条件は大変でしたよ。

1病棟で50人の患者さんを夜でも2人で看るとか。

そういうのが当たり前でしたから、労働条件は悪かったけど、それなりにどこに行っても、楽しむ、、、というか、嫌だとは思いませんでしたね。

 

――今の時代の若い看護師さんと当時とでは何か違いはありますか?今は恵まれていますか?

 

恵まれてるし、今の若い人たちは結構割り切りもありますよね、ドライというか。

私たちの頃は、経済的に自立するために働くというのがまずあったので、不平不満を言うより、与えられた場所で一所懸命仕事をするということの積み重ねでした。

そこでいろんな指導者(看護の先輩たち)に出会えたことが次の私の人生を変えていく機会になりました。

 

松本さんの看護師としての転機

 

――これまでのキャリアの中で転機というとどういったことがありますか?

 

結婚して神戸に来たのが一つあります。

それまでは名古屋で看護師として働いていて、結婚後に神戸に来ました。

それから就職した先でいろいろな出会いがあった時。

そして、震災に遭ったことが大きな転機になりました。

 

――震災(※阪神淡路大震災)の時の転機というと?

 

震災の時は市民病院で働いていました。

つまり公務員ですから、避難所に赴いて防災指令の下で動かないといけない状況でした。

ただ、私はずっと病院では急性期とか手術室とか、小児科にいるときは未熟児室とか、先端医療に近いところで働いてきた自負もありました。

しかし、震災のときにぽんと地域に出されて、暮らしの中で看護師が何を出来るかということについては本当に限界を感じました

 

画像出典:samurai-japan.co

 

――かなりマルチな対応を求められるものだということは聞いています

 

結構、私は適応力がある方だと思いますが、病院で一生懸命やってきたことだけでは、地域で暮らす人たちが求めるものは十分届けられないということは感じました。

やっぱり病院では診療補助という役割がすごく多いので、この人(患者さん)たちが家に帰ったらどうやって生活しているのか、ということにはほとんど触れることが出来ないわけです。

そういう意味では衝撃でした。

 

やっぱり人の健康は医療だけでは戻らないということを震災は教えてくれました。

コミュニティが壊れ、自分の生活が壊れるということがどれほど健康障害につながるのかということを体験しました。

そういう意味では、「在宅に出よう」と(なったきっかけかもしれません)。

 

私、それまで「絶対、在宅看護はやらない」と思っていたんですよ。

というのも、若いころには未熟児室とか外科とか先端医療に関わる部署の配属が多かったわけで、その仕事にやりがいを感じていました

訪問看護制度が始まった時にも、全く興味がなかったんです。

 

――やっぱり、医療・介護の先端のところに自分はいる、と。

 

そういう思いはあったんですが、ころっと変わりましたね。

震災は大きかったです。

暮らしそのものが壊れてしまった場合に、人の健康が障害されていく様を目の当たりにしました。

 

――そこをフォローできないもどかしさを感じられたんですね。

 

そうですね。

どっぷり地域に入っていく、つまり「暮らしの現場」に入るべきだと考えました。。

これからは、暮らしの現場で看護の力を発揮したいという風に私の目指したい方向が大きく変わりました。

避難所の仮設住宅にボランティアに行ったりし始めました。

その後、病院看護師としての避難所派遣の期間が終わって、病院に戻らないといけなくなった時に「病院を辞めよう」と決意したんです。

 

まぁ、よっぽど大きなきっかけが無いと、40代で仕事を辞めないですよ。

子供が小さいというのもあったし、辞めてどうするかいろいろ考えることもありつつボランティアで仮設住宅を行う中で、訪問看護を本格的にやるんだったらということで紹介を受け、ステーションの立ち上げに管理者として行って一から立ち上げをしました。

 

訪問リハビリテーションの経験

 

――震災後、訪問看護ステーションの立ち上げをするまでには少し時間がありますがその期間は何をされていましたか?

 

震災が1月にあって、6月に病院を辞めたのですが、「辞めるんだったら」といって上司が紹介してくれた病院に1年間勤めました。

そこが、リハビリテーション病院だったんです。

「こういうリハを家でしたらいい」とか、こういう知識やスキルを在宅で(活用したい)という思いが生まれていましたので、その病院でリハビリテーションの経験を積みました。

これは本当に役に立ちました。

 

その経験を積んで、在宅に行きました。

仮設のボランティアもしたり、試行錯誤しながらいろいろやっていましたね。

だから、(在宅には)行くべくして行った感があります、導かれたという感覚がありますね。

あのリハビリの経験はすごく大きかったですよ。

「なぜ歩くときの姿勢は大事か」とかそういう知識を一年間みっちり教えてもらったので。

 

 

 

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