【ホームホスピス神戸なごみ家(代表)松本京子さんインタビュー第2回】「看護の軸は絶対にぶらさない」


 

前回は、ホームホスピス神戸なごみ家の代表、松本京子さんのご活動について、現在に至るまでの経緯をざっくりとお話いただきました。

今回は、より具体的に松本さんの過去の経験をお聞きするとともに、今後の展開等も伺っていきたいと思います。

 

松本京子、なごみの家、ホスピス

 

本記事の目次

松本京子さんにとっての思い出深い利用者さん

 

――訪問看護の利用者さんで思い出深い方はいますか?

 

いっぱいいますよ。訪問看護はね・・・。

やっぱりそれぞれの人の歴史がもろに出てくるので。

本当に、何人もいますね。

 

――一番最初の訪問看護の患者さんは覚えてますか?

 

覚えてます。

若い方でした。50代の男性で。

ご本人が絶対入院しないと決めておられて。

腫瘍が血管のところに浸潤して、すごい出血だったんですよ。

どんどん出血するので、「もう一回入院しませんか?」と言ってもしなかったんです。

もう全部自分で戒名も決めて、で、ケアをまずさせないんですよ。寡黙で。

それから、痛いから触らせないんです。

 

奥さんが看ていて、出血し始めたときは、よく私たちも夜中に呼ばれたりしたんですけどね。

で、息子さんと娘さんがいたんですけども、お母さんが一生懸命やっているのを見て、その子たちが協力するようになったんですよ。

そしたら、そのうち夜中に(私たちは)呼ばれなくなって。

「あの子たちが手伝ってくれてるので、いいです」って。

 

――最初は、子供たちはどういった様子でしたか?

 

遠目に見てました。手が出せなくて。

受容できないというよりは、どうしていいかわからなかったんだと思いますね。

繰り返しになりますが、ご本人が全部自分で決める方だったので、手を出せなかったのかもしれません。

(たとえば)出血でパジャマがカチンカチンになるので、週に一回だけ着替えをさせてほしいというのをお願いして、それはOKしてくれました。

その時は気が変わらないうちにと思い、もう急いで着替えてもらったりしていました。

とにかく着替えの日以外は動くことを最小限にして、いろいろと工夫してケアしていましたね

 

最後亡くなったあと、奥さんが仰ったことが印象深いんですけども、

「お陰様で、家族で看取ることが出来ました」

と言っていただいたんです。

 

「看護師さんのおかげで」ではなくて、「家族で看取ることが出来た」というのが私にとってはすごく嬉しかったんです。

私たちはほんのちょっとしかお手伝いできないから、「家族の力で」と言われると嬉しいんですね。

その上で「ついてはそこをすごくサポートして頂いて」と仰っていたけたんです。

これは忘れないですね。

 

あの方は本当に本人が決めていましたし、あとで奥さんとお話しに行ったときも「家で良かったと思う」と言ってくれました。

病院にいる間は、昼間病院にいると家のことがほったらかしになるけども、家に(ご主人が)帰ってからは介護のことも出来るし家のことも出来るし、自分の生活が家にはあるじゃないですか。

だから、すごく家に帰ってからは楽になりましたと言われました。

病院で介護するのってすごく気を遣うし、疲れるんですよね。

 

ご本人も、自分で戒名をつけるっていうぐらい少し気難しい方だったんですが、少しずつケアもさせてもらい、週に一回は着替えもさせてもらいました。

奥様が一番頑張られたと思うんですけども、それを見てた子供さんたちも協力するようになったりと、お父さんの死を通して家族がバラバラになるんでなくて、最終的には一致団結できたっていうのもあったので、「家族で看取れました」という言葉がすごく嬉しかったです。

そのご主人がうちの訪問看護(あさんて)の第一号看取りです。

 

――その患者さんとは、どのくらい関わったんですか?

 

どれくらいかな。。。2か月くらいですね。

それ(「家族で看取ることが出来た」という言葉)はね、ほんとに一番うれしかった言葉ですね。

だから「神戸なごみの家」についてもいつも言っているのは、

「家族が主体の看取りです」

「私たちは後ろからお手伝いします」

ということなんです。

 

看取りはやっぱり家族のものですよ。医療者のものではなくて。

それが家族に後々影響していくわけですしね。

 

※イメージ画像

画像出典:alzheimersspeaks.wordpress.com

 

松本さんが学んだ看護技術について

 

――リハビリ病院で学んだことは訪問でどのように活きたのでしょうか?*

 

身体の動かし方とかですが、とにかく寝たきりにしないということについてですね。

要介護認定が)「4」,「5」の方とかって、もう寝たきりになるのが当たり前と思ってるじゃないですか。

でも、「座りましょう」ってところから始まって、座れたら椅子に移りましょう、と。

それだけで、変わるんです。会話はするし、体幹の筋力がつくし。

その時の身体の動かし方とか、姿勢を維持するというのは、長く自分の機能を維持していくうえで、たとえば腰を痛めたりしないためにも大事ですよということを理解できて実践できるようになれたのは大きかったです。

* 松本さんインタビュー第1回を参照のこと

 

――認定看護師の資格を取ったのはいかがでしたか? 変化はありましたか?

 

変わりましたね。

自分が何を大事にしないといけないかとか、そういう理屈を身につけられたことや、哲学的なことも含めて自分の視野が広がりましたね

それまでは経験でやってきたわけだから。

 

――(緩和ケアの)認定看護師はそんなにいなかった時期ではないですか?

 

結構いたと思いますよ。

 

――認定の学校のころの交友も続いているんですよね?

 

LINEなんかで結構、たとえば学会に行くと「こんなんがあった」とか連絡を取ったり。

みんな色んなところで働いていますので、情報交換はしていますね。

 

訪問看護ステーション経営、とりわけマネジメントについて

 

――訪問看護のスタート時期は、ケアマネさんに訪問看護をケアプラン入れてもらうのに、苦労はしませんでしたか?

 

それはあんまり。

順調でしたよ、その点では。

 

――他にも、当初のナースの方が辞められたりとかはありましたか?

 

開設メンバーのスタッフは今も全員いますね。

そのあと採用した人たちは、2年くらいで辞めたりはしてますけども。

 

――すごいですね、それだけ基盤人材が固定できているというのは。

 

やっぱり彼女たちの意欲です。

もちろん、最初から賞与はちゃんと出そうとかっていう条件面を考えてきたところもありますが、彼女たちはやぱり看護に対してはすごい熱心ですし、きちんと取り組みたいという意欲が強いです。
お金より、「良い看護をしたい」という想いがありますね。まぁ彼女たちに逆に私が救われてる部分もあるんです。

私も結構きつい所はあるから、ビシっていうんですけども、「ビシって言われた」という感情的な捉え方ではなくて、「それが看護としてどうなのか」というように患者さんの目線に戻って理屈で考えることが出来る人たちなので、そこは彼女たちのキャパは広いんです。

「また怒られた」と言いながら、自分の看護をきちんと振り返っています。

 

――訪問看護ステーションを経営するマネジメントでは何が重要だとお考えですか?

 

とにかく「看護の軸をブラさない」。そこだけですよ。

「私たちはこういう看護をしようね」、「最後まで本人の力を引き出す、自立支援だよね」と。

「その理念(看護の軸)から考えると、その対応ってどうなの?」というように会話しています。

その軸だけは絶対にはずさない。

患者さん個人の事(希望もわがままも)でどうこうとかは、私は構わないんですけども、看護のところだけは絶対妥協しないし、軸はズラさないですね。

 

――スタートするときに、そういった理念などを言語化したりしましたか?

 

理念はずっと、「最後まで住み慣れたところで”生きること”を支援する」というものです。

この”生きること”を支援するっていうことは、そうですね。。。いつも私が言っているのは、「感謝される看護じゃなくていい」です。

「感謝されるために看護をする」ときは、自分たちに「主体」があるじゃないですか。

もちろん、結果として感謝されることは多いですけど、感謝されて私たちが喜ぶために看護をするのではなくて、本人が自分の力で生きるっていう場面を見たときに、みんなが嬉しいと思えればいいんです。

最初はほんとに難しかったけど、じわじわと時間をかけて、気が付いたらこんなことができるようになってたとか。そこは皆が喜ぶ一致点なんです。

そこがずれないのが大事ですね。

 

――ケースカンファレンスは毎日やりますか?

 

カンファレンスは毎日やっていて、看護とケアマネとリハとで集まります。

たとえば、「今日はこうだった」「こういう話をしていた」とかが事例としてカンファに上がってきます。

その報告に対して私は「その話を聞いてあなたはどう思ったの?」とか「その人はどうしてそういう発言するんだろう?」とか投げかけ返すと、「あー、それは聞いてないです」とかなったりします。

そこに「問い返す」っていう力がいるんですよ。

言葉を聞いて納得して帰ってくるっていうことがあっても、「それ言葉聞いてきただけじゃない?」「それで、次のケアをどうするってことを考えられるかな?」「本人は、家族はどう思ってる?」という風に聞いていきます。

 

――カンファレンスには松本さんは出席されているんですか?

 

ほぼ出ています。

軸は外さないですね。妥協はしたくないので。

 

――他のナースたちもそこはついてきてくれているですね。

 

だと思いますよ。私がそう思っているだけかもしれませんが。笑

彼女たちはまぁ、「訪問看護が面白い」とは言ってくれていますね。

 

※イメージ画像です

画像出典:footage.framepool.com

 

病院から在宅へ転職したナースについて

 

――病院から転職して、ここで(訪問)看護を始めたというナースはいらっしゃいますか?

 

いますよ。

若い30代のナースです。ICU経験5年で来たかな。

 

――病院から訪問看護に入って、やっぱり壁にぶつかったりしていますか?

 

そこはね、やっぱり自分で訪問看護に対して期待したり目指してきた部分があるだろうと思いましたので、最初に相談があった時にうち以外のステーションもいくつか紹介したんですよ。

その上で「あさんて」で働きたいと言ってくれたので、「じゃあ一緒にがんばろか」と入社受け入れを決めました。

ちょっと歳が離れて一人だけ若いんですけど、適応力と能力は高いんです。

で、ICU経験があるから身体をきちっと看れてますね。あと、度胸があるというか。

その子に、私がまだ元気なうちにってことで緩和ケア認定看護師資格を取らせたんです。

50~60代の年輩の看護にはその良さがありますが、能力が高い看護師も必要ですから。

 

――役割分担はありますか?

 

分担というか、緩和ケア認定看護師を取ったこともあって、出来るだけ末期の人は彼女に集めていますし、末期でも比較的に安定してる患者さんも彼女に頼むことが多いです。

「末期の患者さんは、あの子に頼めばなんとかしてくれる」と皆から信頼されています。

じゃあ管理者出来るかというと、またこれは別問題なんですね。

だけど、実践力をつけていくことでその力も後からついてくるから、今はとにかく実践を一所懸命やってもらったらいいと考えてますね。

 

 

 

 


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