困りごととキーワードが合致していないことの怖さ【がんと暮らしを考える会・賢見卓也理事長インタビュー2】

賢見さんの問題意識のルーツ ~薬漬け・検査漬けにされた祖父~

 

――いろんなことに問題意識を抱えるに至ったルーツとしては、学生時代あるいは高校生とかまで遡りますか?

 

ルーツは、大きく2つあります。

 

1つは、私が高校生の時に祖父が寝たきりになったことです。

当時は1992年ごろのことで今の医療とは全然違っていて、老人への薬漬け・検査漬けが多かった時代です。

患者ひとり入院するとなると、不要な検査や過剰な処方がたくさんありました。出来高払いだったので小さな病院では、そういった経営手法ができあがっていたのです。

 

しかし、本人(=患者)からするとやりたくないことだらけでした。

胃がんの手術を希望しない祖父に対して、胃の検査から頭の検査から血液検査まで、一週間に何回も何回も入っていて、お薬もいっぱい。

誰でももう退院したいとなりますよね。

本人は望んでいないのに、入院させられ、検査させられている状況なわけです。

また、「これは本当に必要なのか?」ということについて医者に聞こうと思うと、医者はすごく偉そうにしているので聞くに聞けなかったですし、「追い出されたらどうしよう・・・」という家族の葛藤もありました。

 

結果、そうして病院にいると足も動かなくなってくるし認知症にもなる。

本人がやりたいと言っているならそれでいいのですが、やりたくないと言っている人が80歳まで仕事して働いて、最期にその死にざまってどうなんだ?と。

アリのように働いているのに、キリギリスとして最期を迎えるというのはあまりに理不尽すぎると思っていました。

 

きっと私自身がつらかったんでしょうね。

そのつらさをどうぶつけるかばかりを考えていました。

でも、「このままじゃいかん」というのが目に見えてきたことで、「ああいうところで最期を迎える死ぬ人たちがもっと報われる最期をむかえられるようにしたい」という想いに変わっていきました。

 

ともかく、その当時の医療は「治すこと」ばかりでしたから。

 

※イメージ画像

「hospital」の画像検索結果

 

――まさにドラマで見たことがあるような構図ですね・・・ふたつ目のルーツについてもお聞かせ下さい。

 

2つ目は、1つ目とも関連するのですが、困っていることとキーワードが一致していないことへの疑問です。

 

家で死にたいという困りごとや、こういう仕組みがあったらいいのにということは、当時はインターネットもなかったから簡単に調べることが出来ず、分からなかったんですよ。

そういうわけで、私が看護学生になったときにはじめて「訪問看護」という言葉を聞くわけです。

つまり、祖父が寝たきりになっている時に、困りごとをたくさん抱えていたにも関わらず、訪問看護という言葉を知らなかったため、自分でどんなに考えても解決策に辿り着けなかったということです。ちなみに、「ホスピス」という言葉も知りませんでした。

もしもの話にはなりますが、「訪問看護」や「ホスピス」という言葉さえ知っていれば、ホスピス病棟や在宅医療にたどり着けたのではないかと思います

 

この事象は、困りごとと支援につながるキーワードが異なるから起きるんですね。

これはすごく決定的なことで、そのワードにさえたどり着けば、芋づる式に色んな方策が出てきたはずでした。ですので、そうしたキーワードをちゃんと教えてくれる人が欲しいという想いを強く持つようになったんです。

 

ただ、すぐには何もできないので学生や20代の頃は、そういう気持ちが曖昧なまま病院看護の経験を積むために過ごしていました。

日々病院で仕事をして「やっぱりおかしい」という思ってくすぶっていた、、、というのが20代まででしたね。
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