一般社団法人kukuru・鈴木恵代表インタビュー第2回です。
前回の第1回では、鈴木さんの現在のご活動に関するお話を伺いました。
特に、「子どもには、障がいがあろうがなかろうが、きちんとステップを踏んであげることが大事」というお話には溜飲が下がった方も多かったのではないでしょうか?
さて、今回は鈴木さんの過去のお話から、我々がくみ取るべき教訓を得たいと思います。
障がい児を持つ母として、母を介護する一人の娘として、そしてそうした背景を持つ看護師として、、、
今回も、溜飲を下げて頂ければ幸いです♪
本記事の目次
鈴木恵さんプロフィール
≪鈴木恵さんプロフィール≫
- ・障害児の息子を持つ、一児の母
- ・看護師として、大学病院・日赤病院・乳児院・重症心身障害児訪問看護事業・訪問看護ステーションにて小児・障害児を専門に従事。そのかたわら、ハンディキャップを持つお子さんの家族支援を目的として医療コーディネーター(相談業務)として活動
- ・NPO法人フローレンスでの非常勤勤務をきっかけに、自分の経験を社会に生かし、自分がやってほしかった事を現実にするため、2009年に任意団体Kukuruを設立し、2010年一般社団法人化
- ・現在、「バリアフリー旅行支援事業」と「在宅支援事業」を軸に事業を展開している
→バリアフリー旅行支援事業:障がいレベルにあった旅程を提案するなど、旅行の際のあらゆる困りごとに臨機応変に対応するサービス
→在宅支援事業:医療的ケアが必要なお子さんと家族の支援を行う事業で、障がいのある子を持つ方向けの訪問看護・訪問介護事業や、在宅でのレスパイトサービス・介護職員等による喀痰吸引等研修などを行っている
「ハンディーキャップのある子供支援は、家族支援があってこそ。日頃介護に頑張っているご両親に、沖縄で癒されてほしい・・」
☆沖縄バリアフリー旅行・レスパイト一般団法人Kukuru くくる
鈴木恵さんが看護師になったワケ
――もともと看護師になられた経緯はどのようなものでしょうか? ご自身の親御さんの介護などを行ってらしたことが影響しているのでしょうか?
経緯としては、こう見えても、私自身が病弱だったことに遡ります。
全然そう見えないんですけども。笑
3歳くらいから中学1年生までは、二学期はほぼ学校に行かないくらい、毎年入院していました。
3歳の時は、今は子どもが入院すると親が付き添うことが多いのですが、当時は週3回、2時間しか親の面会ありませんでした。
それで、面会時間が終わると、ベッドの柵が高い檻のようなベットに入れられていました。するともう、ガンガン泣き叫ぶけど、親とお姉ちゃんは振り返りもせず二人仲良く帰ってくみたいなのが、私の記憶の中に残っていて。
その後、小学校に入ってからまた入院生活になったのですが、その時は姉の方が具合が悪くなったんですよ。兄弟揃って具合悪くて。
でも、姉の方がもっと重症で、姉が入院すると、両親二人とも毎日面会に行っていて。
その当時、小学校の頃から私は自分で夕飯を作っていたんです。つまり、私が入院すると、お見舞いに誰もこないわけです。
土日のどっちかに、父親が洗濯物だけ取りに行ってくる。
要は、親に可愛がられてきた記憶があまり無いんですね。
今では、それがいい経験となって自由奔放に生きられていますが。笑
そんな小学校時代を過ごしていたときのことです。
病院で出会った研修医の先生がすごく優しくて、その先生のことが大好きでした。
それで、「私も小児科の医者になろう!」と思うようになって。
でも、何せ私はあまり学校に行ってないですから、おばかちゃんで勉強ができない。だから、医者は無理だと小学校の時に悟りまして、それなら看護師さんになりたいと思うようになりました。
振り返ってみると、子供の頃から医療と離れられない関係でしたね。
遊びにしても、車椅子で走って遊ぶとか採血キットで遊ぶとか。医療道具が遊び道具でした。
そういう幼少期を過ごしていたおかげで、ありがたいことにいろんな経験をさせてもらえて、仕事にすごく活きていると思います。
たとえば、私が病院の小児科で勤務している時に、親が忙しくてほとんど来ることが出来ないという子どもがいた時に、自分と一緒のような感覚がして、その子と交換日記をしてみたり。
また、子どもが大変な病気だけれども親御さんが忙しい場合、なんとなくお母さんの気持ちが落ちてしまいます。そんな時には、お母さんが子どもに目を向けられるようにお話したり。
全ては私自身の経験、教訓を取り入れて仕事に活かしているかもしれません。
ただ、若かりし頃は、そんなことを忘れて業務だけに走っているときはありましたが。笑
――小学生時代からのなりたい職業に実際になっている人に久しぶりにお会いしたような気がします。それもある意味でですが、環境がよかったのかもしれないですね。
ほんと、そうです。それが最近、またすごい偶然があったんです。
ついこの前なのですが、私が子どもの頃――研修医だった頃――に大好きだった先生、鈴木先生というんですけども、その先生に偶然お会いしたんです!
もちろんその先生は覚えてないんですが、本当に何十年ぶりにかに会って、しかもその先生は小児だけを見る専門医になっていて、私も重症心身障がい児を看る仕事に就いていて。
まさかあのときの先生がって思うとすごくないですか?
もうほんとにびっくりしました。
――キッカケになった人に会えるなんて・・・!
すごいですよね、まったく。
人に恵まれてます。
――「いい先生」のイメージ像がある鈴木さんにとって、病院での看護に対する違和感は覚えなかったんですか?
大学病院勤務時は若かったし、しかもその時は超バブリーなときだったから、、、笑
バブル絶頂期の飲み会で、ハイヤーで送ってもらってっていうそんな時代だったから。
――もう世間がね。。。
もう大変でした。白タクに乗ったりだとか。笑
遊びまくっていた時代でしたね。
だから、利用者さんだとか、患者さんのことを真剣になんて考えられていなかったですね。
それこそ、ほんとにルーティンワークをこなして、「早く帰って飲みに行くか!」みたいなことしか考えていませんでした。
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