若い時の困難は必ず活きてくる!【Kukuru・鈴木恵代表インタビュー2】

大学病院~乳児院~訪問看護ステーション

 

――そこから訪問看護ステーションに入られたのはどういった経緯からでしょうか?

 

訪問看護ステーションに行ったのは、子どもが産まれてからですね。

 

先ほどの病院時代の話の続きで言えば、准看護師として病院で働きながら学校に通っていました。

そのときに所属したのが小児科だったのですが、この小児科時代が、考えを改める一つの転機となったように思います。

勉強しながら働いている中で、子どもたちからさまざま学びつつ、昔の自分を振り返ってみたりしました。

また、この時は前職の経験があるということで、新人で就職はしたけれども、同僚とはまた違う立ち位置で――准看でありながらリーダーをやれたりと、多様な経験を積ませて頂けました。

 

そうして、自身としても環境的にも小児科で「いい時間」を過ごして正看護師をとったちょうどその時、母が倒れて病院を辞めざるを得なくなりました。

仕事を辞めたくはなかったのですが辞めざるを得ず、在宅で看護をしていましたが、それも6ヶ月くらいで継続できなくなってしまい、乳児院に務めはじめました。

その乳児院で、子どもたちと違った形でふれあうことになりました

そこでは、子どもの自主性ではないですが、「可哀想」ではなくて、「この子達はこの境遇の中で行きていかなくてはいけない」ということをすごく感じました。

また、本当にいろんな親御さんと出会うことが出来ました。

たとえば、5人兄弟が全員施設にいて、全員違うお父さんだったりとか。

 

――すごいですね・・・!

 

そのお母さんも精神が参っている人だったから、頼れる人がいないと生きていけないようでした。

育てたいという気持ちはあるけれども、育てきれない。だから、お母さんと「じゃあどうやって育てていくか」という話をするわけです。

 

そこでは、たとえば虐待に関して考えさせられたりしました。

お母さんは好きで虐待しているわけではなくて、「子どもを守るよりも先に親を守ってあげなければ、子どもも守れない」ということを感じました。だから、今も虐待防止法で子どもを守ることに必死な向きがありますが、子どもだけを守ってどこかに匿ってしまうような対策が今後の親子の関係にどんな悪い影響を与えるのか考慮しているのか疑問です。

そうした現実に向き合うことが重要なのでは、と思います。

 

――とりあえず失点をなくすべき、といった発想ですかね。

 

子供はお母さんのことが好きですからね。。。

 

とまぁ、乳児院でそういう経験をしていろいろと考えさせられていたその時に、妊娠しました。

すると、生まれた子に障がいがありました。

その時点で、親もそうだし子もそうだしというのを味わったんですね。

 

このような環境の変化に伴って、私の考え方も少しずつ普通じゃないというか、一般的じゃない方に流れていったんだと思います。

 

――子を授かって、生まれて、それでいったんお仕事の方はお休みされたんですか?

 

1年間は、母親のこともあってお休みしました。

すると今度は父親が脳梗塞で倒れたんです。

それで、どうしても子供を保育園に入れざるを得ず、無理やり保育園に入れさせてもらいました。

また、父親は母親をみなきゃいけないという思いがあったから、めきめき回復して、それはすごくラッキーでした。

子供も保育園に入れたし父のラッキーも重なったので、「このまま仕事しちゃおう」と思って、その時に重症心身障がい児*の訪問看護事業部に入りました。

* 重症心身障がい児とは:「重い身体障害(肢体不自由)の他に、さまざまな程度の精神遅滞(知的障害)や行動障害などを合併している状態にある人」のことです
→参考記事:重症心身障がい児とは? ~「大島の分類」による定義および今後の課題等~

 

――その重心の訪問看護事業部には、ご縁があってという形ですか?

 

いえ、新聞広告か何かを見たんだと思います。

時間の拘束も短かったし、フルタイムではないので逆にそれが私にはよかったんです。

それで、やってみようかなと思って。

 

そしたらドンピシャだった感じですね

お母さんと苦労について話し合うことが出来て、看護に行っているんだけど、全然看護じゃない。笑

たとえば、昼夜逆転しちゃう子どもの悩みの話だとか。

それを私が体験しているから、「大変だよね」と共感する度合いが全然違うんです。お母さんと一緒に共鳴し合えることは、私にとってもどこか安心しましたし、それはお互い様だったと思います。

そうして色んなお母さんと知り合う中で、外来で会うときにお母さんたちからいろんな話を聞いたりだとか、段々と仕事の幅が広がっていきました。

そうした交友関係を通してご縁を頂き、重症心身障がい児の訪問看護事業部とは別に訪問看護ステーションを並行したりもしていました。

 

――共感があって精神的に安らいで、かつ医療的なケアもやってくださるのは、ほんとに鈴木さんだから出来ることですよね。

 

ありがたいですね。

それこそ、交代するときが大変でした。

重症心身障がい児の訪問看護事業部では、なれ合いになってはダメだということで、訪問先を絶対に1年で交代しなきゃいけませんでしたので。

でも、どうしてもという方は2年まで伸ばしましょう、と。

そうしたお声を頂けるのは、本当にありがたかったです。

 

――重症心身障がい児の訪問看護ステーションでは何年間くらい働かれたのですか?

 

うちの子が1歳のからスタートして小学校入ってからも続けていたので、8年くらいですかね。

 

――それからはどのような?

 

うちの子が小学校3年くらいの時に、どうしても具合が悪い時間が続いてて施設に入れなきゃいけないことになりました。

私はそれまでずっと付き添いをしてたのですが、その必要がなくなった。

ちょうどその時、母親も具合が悪くなって、子供が施設に入ったあとの1年間は、親の面倒をしっかり見て、亡くなりました。
▶ 次ページへ:再度働き始めてみると・・・

 

関連する記事


在宅に関わる看護師が忘れてはいけないこととは?【Kukuru・鈴木恵代表インタビュー3】

一般社団法人kukuru・鈴木恵代表インタビュー第3回です。今回は、鈴木さんが抱いている問題意識と今後のご活動に関するお話を伺っています。非常に合点がいく問題意識と、それに対する鈴木さんの行動力! 最後には、現役看護師へのメッセージも頂きましたので、是非ご覧ください♪

「レスパイトケア」という言葉は間違っている?【Kukuru・鈴木恵代表インタビュー1】

沖縄で「レスパイト」サービスを展開する一般社団法人Kukuru代表・鈴木恵さんのインタビュー第1回です。今回は、鈴木さんの現在のご活動を具体的にお話いただく中で、「『レスパイトケア』という言葉が具体的にはどのような意味を持つべきなのか?」ということについて伺うことが出来ました!