えっ、なんで? 元ディズニースタッフが医療コンサルに転身したワケ【NINO村田代表インタビュー1】

青年期のきっかけ ~ディズニーランドでの気づき~

 

NINO村田、ディズニー

 

――その時にすごく衝撃を受けたのですね。。。その後、何か医療に向き合うことになったきっかけはあったのでしょうか?

 

話がズレているとお感じになるかもしれませんが、実は、ディズニーランドで働いたことが次のきっかけです。

 

そもそもディズニーで働いたキッカケは、服飾の専門学校を中退したことです。

親から多額の入学金や備品を用意してもらったのに、中退せざるを得ない状況にあった私が

その時に選んだのが、「世界で1番苦手な場所」でした。

これは父にもらった言葉――苦労は金を払ってでも買え――に習ったためです。

 

すでにお気付きの通り、私が言う「世界で1番苦手な場所」というのが、東京ディズニーランドでした

来園者をペアルック、カチューシャ色に染める。人酔いする私には想像を絶する「人混みの王国」。なぜねずみに犬が飼われているのかわけがわからない、、、などなど。苦手要素はたくさんです。(笑)

 

しかし幸運にも、苦手としていたが故に来園経験が薄かったこと、「ミッキーより目立ってみせる」という謎の意気込みを面接時に見せたことが逆に買われ、パレード等をコントロールする総合接客業に任命されました。

今思えば、ディズニー嫌いなキャストは、大きな組織にとって面白い要素だったのでしょう。

最近でもよく相談にのってくださる上司からは「お前みたいのは2人はいらない。1人いるだけで十分だった。大変だったな~。」と言われ、ご迷惑を掛け続けていた事実が判明したところです。(笑)

 

着任してみると、たとえば、キャストでありながら迷子になり、ゲストに案内をしてもらうこともしばしばといった始末でした。

ですので、年間パスポートを購入し、私なりにディズニーを楽しもうと通ってみることにしました

 

ゆっくり休める場所。

費用対効果の良い食事。

並ばなくてもパレードが見られる場所。

人の多い城前に行かずともシンデレラ城がキレイに撮影できる場所など・・・。

 

王道とは異なるものの、苦手な人にとっての園内の歩き方や過ごし方をなんとなく把握することができたのです。

 

――それは素晴らしいですね!

 

それが仕事に活かし出せたのは遅くはありませんでした。

 

まず、私自身の考え方が変わったのです。

ディズニーの基本理念である『満足の先の感動』、つまり、「100求められたら120にして返す姿勢」を参考とし、私は「ゼロないしはマイナスから、涙してもらえるような感動を創れるキャストであろう」という行動指針を掲げました。

 

土日のお父さん、ご年配の方、小さなお子様、具合の悪い方、修学旅行の男子学生、楽しむつもりもなく付き添いとして来ているだけのつもりの方。。。

これらの方々、つまり、限りなく「自分と同じ目線」、同調でも賛同でもなく心底「共感」できる相手にサービスを届けるということです。

 

このような指針に沿って行動していくと、そもそもディズニーが苦手なゲストが少なくないことに気づいていきました。

一方で、当然ですがディズニーが苦手なディズニーのキャストはそうそう居ません。(笑)

数えきれないほどの上層部との様々な衝突や面談を経たものの、理解ある仲間に恵まれ、実績や結果で自身の必要性を示していくことができました。

 

そこでようやく、自分の想いがカタチになる基盤を作ることができました。

すなわち、「コンシェルジュ」的な動きをする部署の新設です。

 

それまでは、安全確認や掃除などの「決められた役回り」の先のゲストサービスでしたが、コンシェルジュはその職責がなく、ただ単純に「ゼロからゲストを感動させる」ミッションのみを持ついたってシンプルな組織です。

内実は詳しくは話せませんが、とにかくディズニーで私が行いたかったサービスがカタチになった瞬間でした。

今は「ドリームコンダクター」として、タブレット端末を片手に動き回り、コスチュームまで作られたと聞いて嬉しく感じます。

 

――ディズニーで働く中で記憶に残っている体験などあれば、是非ご紹介いただきたいです。

 

5年間の勤務ですっかりホスピタリティーの「プロ」と自覚し、ディズニーのステージに立つことが出来るまでに成長させていただきました。

その中では、仰るように忘れられない出来事がたくさんあります。

 

今回は、中でも私の人生を決定づける悔しいエピソードをご紹介します。

 

医師・看護師同行でいらっしゃる、終末期のゲスト対応をしていたときのこと

そうした場合には事前に簡単な申し送りがあり、限られた時間・資源の中でディズニーを最大限楽しんでいただくよう努めるのですが、私が担当させていただいたゲストがお子様でした。
それがまた、信じられないくらいイイ笑顔を見せてくれるのです。

自分の時間も限られているであろう状況で、こんなに素敵な笑顔を見せてくれるのか。

ここまで来て、「本当は〇〇ちゃんも一緒に来たかった。だからお土産買ってくんだ。」と、友達の心配までしています。

 

私は、パレードではミッキーの目線を独り占め出来るように「魔法」をかけるなど、出来得る限りを尽くし、想定よりも元気に過ごしていただきました。

帰り際、「また来るね!」の元気な声に、「待ってるぞ!」と握手で応答し、再会を期しました。

 

この方だけでなく、病気やケガを抱えながらディズニーでお過ごしいただける方は多いのですが、終末期のゲスト対応は特に色濃く残っています。

 

ただし。

「また来るね!!」の約束が守られた事は1度もありませんでした。

 

さて、このお子様のご対応をした数日後、私はふとこう思ったのでした。

 

ディズニーの中ではコンシェルジュとして、ホスピタリティーのプロとして走り続けてきたが、園内まで来れない方には何のサービスも届けられない。

 

こう思った瞬間、いろんな想いが私の全身を駆け巡るわけです。

 

  • ・「また来たい!」っと思ってくださっている方々、病気やケガで困っている方々に、私は園内でしか笑顔を創ってあげられない。
  • ・受け身の姿勢で「プロ」などと息巻いて、何がホスピタリティーだ。
  • ・きっと、病気やケガで困っている人は沢山いる。
  • ・しっかりそこへ届けたい。
  • ・実際に自分もそうだった。・・・
  • ・そういえば、あの時は看護師さんが私を救ってくれた・・・!

 

そして、こう思いました。

今度は「ディズニーのサービスを医療に適用」し、医療をより良い空間に変えていこう。

これらの実体験と、多くのご恩への感謝こそが、今の仕事を創った原石です。

 

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