梅田先生インタビューシリーズ最終回となる今回は、
緩和ケアの現状や今後の緩和ケア、そして現役看護師の皆様へのメッセージをご紹介します。
特に、日本の緩和ケア黎明期における梅田先生の体験談をお聞きしている際には、インタビュワーであることを忘れてしまうほど聞き入ってしまいました。
そのシーンも含め、最終回の今回も見所満載です!
梅田先生が考える緩和ケアの現状
――現場で働く看護師さんの「緩和ケア」の認知度は結構高いものですか?
自分たちがそっちの業界にいるから、自分の周りは関心のある人ばっかりですが、急性期の人たちと話すとまだまだだなと思います。
(急性期という点に関して)今ELNEC(※)のプログラムの急性期版を作っていて、救急に来る人とか、心不全だとかそういう人のエンドオブライフケアのシステムを作ろうと言って動いてもらっていると、全然やっぱり認知されていないなと。
まだ、「がんの人のための緩和ケア」と思われています。
「救急とか心不全なのに緩和ケアやっていいの?」みたいな認識がまだ看護師の中にあるかもしれないです。
(※)ELNEC(エルネック)とは、エンド・オブ・ライフ・ケア(EOLケア)や緩和ケアを提供する看護師に必須とされる能力修得のための系統的な教育プログラムを開発するアメリカ発の組織のことです。
こちらには、梅田先生も参画されているため、インタビューで話題に上りました。こちらは「マクミラン・ナース」と同じく、別稿にてご紹介致します。
――看護師さんの認知度と患者さんの認知度は別物な気がしますね
ほんとここ5年くらいですかね、患者さんから「緩和ケアサポート受けたい」と言ってもらえるのは。
2000年頃の話としては、私が緩和ケアチームとして病院で動いていた時に、笑顔で「今後のこと相談しましょうね」と言ったら、「緩和ケアのナースなのに、にこにこして」「楽しい話じゃないだろ!」という風に患者さんに怒られたことがあるんです。
それに対して、「楽しい話じゃないかもしれないけど、あなたの今後の時間を有効に使うとか安心するためにシステムのこととかご紹介しようと思っていますが、暗い顔しなきゃだめですか?」って言ったことがあります。
本人は全然気持ちを切り替えられているのに、そういう時は暗いモードじゃないといけないという文化みたいなものがあるんですけど、「緩和ケアは暗い気持ちでやっているわけではないし、別に死ぬ場所探しているわけじゃないから、全然つらいことと思っていません」という風に言ったら、患者さんもホッとした感じにはなったんですけど、、、
当然、あんまり表で話をしちゃいけないとか、「梅田さん頑張るのはいいけど、目立ってもらっては困るんです」ということは昔の病院スタッフに何回も言われました。
大学病院は「治す」ところなのに、「治さない」というイメージが(緩和ケアには)あったからだろうと思います。
――逆に、それを面と向かって言えるのですね・・・。では、いくつも障害を越えてこられたんですね
当時を振り返ると、今は夢のような世界になってますね。
マイノリティだったけど、知らない間に(緩和ケアが)普通になっているのは不思議だなと。
(昔は)極力私と関わらない方が患者さんは幸せと思っているムードはあったような気がします。
「まだそっち(緩和ケア)じゃないから」というような。
梅田先生にとっての緩和ケア/緩和ケアの起源
――同僚からそれを言われるのはイヤですね・・・
イヤっていうか、寂しいなと。
絶対人は死ぬのに、やっぱり死ぬってことを言っちゃいけないっていう。
死を見据えて今を考えるのは不謹慎だっていうのは、そっちが今は大勢のはずだと思いますが、今の高齢化だとか人権の話がクローズアップされてきて(薄れていくのではないかと)。
緩和ケアってもともと人権運動なので。
日本人はそう思ってないけど、ベトナム戦争後にすごく人権が大事だってヨーロッパなんかでは言われてて、それに乗っかっているのがホスピスですから。
人権革命が緩和ケアなんです。
――終末期においても、「よりよく過ごす権利」を持ってるんだと
生きる権利が死ぬまであるんだっていうのが、なんかこう世の中はそこを「死に方を教えてくれる人たち」みたいな感じに思っちゃうんです。
――「自分で決定する選択肢を広める」っていう方向性なのですね
「死」っていうこととどう向き合うのか、あるいは「治らない」っていうこととどう向き合うのかっていうことを問う領域なんだろうと思っています。
これまでで最もつらかった経験
――(これまでお話を伺っていて)死と密接に絡む仕事というところは間違いないと思うのですが、今までの経験で最もつらかったことはなんでしたか?
しばらくともに過ごしてきた患者さんとのお別れは全部つらいですね。
んー・・・何がつらい・・・大学院の修了です(笑)。
――それはつらいですね(笑)。
でも自分の中ですごく記憶に残っているのは、ナース3年目の時にホスピスに入った時のことです。
それまでの部署では急性期にいて、週に1回ぐらい患者さんの息が止まるような場所にいたので、挿管するとか救急カートが上手に使えることがナースとしてはかっこいいと思っていたところからホスピスに行ったんです。
それで、息が落ちてくる患者さんにどう傍にいていいのかわからないような所からのスタートだった時に初めて担当した患者さんが、何せ痛がる患者さんで、「イタイ!」と叫ぶ人なんですけど、受け持ちだからいかなきゃいけなくて、傍(そば)にいるんです。
ただ、本当に薬を打っても効かないし、でも痛いって叫び続けるしで、すごくその時のジレンマが残っています。
でも、「それでもずっと傍に居続けるのがいいよ」と、そこにいた田村恵子さん、緩和ケアの第一人者なのですが、
彼女が一緒に傍にいてくれたこともあって、「逃げない」とか「傍にいる」とか「なんでこの人がこんなに痛いって言わなければいけないんだろう」と考え続けるようなベッドサイドのいかたが出来たと思っています。
とにかく彼女(=患者さん)には付き添って、一緒にヨックモックを食べたっていうのが(今でも)記憶にあるんですけど、彼女が亡くなった後に、息子さんがお父さんを殴ったんです。
中学生の子供さんがいたんですけど何も話していなくて。あまり夫婦関係の良くないご夫婦だったっていうのもあって。
で、息子さんが(お母さんが)亡くなることを知らなかったことを怒り、殴ったんです。
でも、自分はそれを傍観することしかできなかったっていうのが、「あぁ・・・」って。
ただ、自分の中で「出来ることがある」って思ったから、きっと(私は)つらかったと思うんです。
だから、ずっと勉強したり、ナースがもっとこういうことに応えたらいいって思う動機になっているのは、多分その時の場面なのかなと思います。
まだ24歳とかそんな時の話ですからね・・・。
――そんな若い時に・・・
鮮明に覚えてます。
「殴るのか・・・」って思って。
でもこれはご主人が悪いわけでもなくて、息子さんの気持ちを緩和ケアを専門でやってる私たちがもっと配慮しなければいけなかったんじゃないか、
家族の中の行き違いにもっと気づけてたんじゃないかとか、もっといっぱい出来ることがあったのに、全部それに沿うことしかできなかった。
「イタイ!」と叫んでいた患者さんの「痛み」の中に、モルヒネで取れる「痛み」だけじゃなくて、ご家族の「痛み」や、もっといろんなことがあったのに、「全然気づかなかった、アタシ」っていうのはありますね。
――24歳で若かったということもあって、業務の方でいっぱいいっぱいっていうのもあったんですかね
その時はホスピス病棟だったので、業務でいっぱいいっぱいだったというよりは、「看護は自然に出来るものではなくて、考えてやんなきゃいけない」と、そんな感じで思っていました。
(その経験から、)ぼーっと傍にいてもダメなんだなと。
――結構ネットなどで体験談をみていると、緩和ケアにおいてはその印象が強いです。つまり、つらい経験だとかそういう部分に対して、若干抵抗があると。
自分の役割を果たせなかったっていう無念とかいう部分は、今ELNEC-Jがすごい頑張っているところです。
それが絶対次のエネルギーになるんですけど、そこってまだ結構蓋(ふた)をする現場の文化があるので、
(たとえば)ELNECはアメリカのプログラムを日本用にモディファイ(=修正)して使っているんですけど、ナースの負担の部分もすごい大事だって言われてます。
実際に研修でそこに触れると、ナースたちもいろいろ感じてたりする部分があります。
でも、そこをちゃんと表現しないと、今いる患者さんに優しくできないというか、受け止められないっていうのは、そこに何かしら詰まってるものがあるからだと思います。
その堰(せき)が開けるともっと楽しくナースは出来るんだと思います。
私はそういう意味では、ホスピス病棟にいたり大学で勉強していたため、自分のつらい体験を分析したり話したりすることがたくさん出来たため、自分の力に持っていけてます。
しかし、そういう機会が無いナースにとっては、自分を責めたりしてバーンアウトしちゃう人もいるし、看護の仕事に対してもネガティブな印象になっているかもしれないので、ナースとしての感じ方っていうのは表現した方がいいんじゃないかなと思っています。
今、看護教育の方法として、「リフレクション(振り返り)」という方法をもっと看護師の方たちに使ったらいいねと言われています。
だから、自分の大学院の教育では必ず「リフレクション」を重視しようと思っています。
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