【がん看護専門看護師・坂元敦子さんインタビュー第2回】がん看護との出会いと軌跡

 

坂元さんインタビュー第1回では、「いま」に関する内容をお聞きしました。

そこでは、坂元さんががん専門相談員のお仕事をされるうえで、患者さんが意思決定するための「下ごしらえ」を大事にしていらっしゃることが分かりました。

 

では、そもそも坂元さんはなぜがん看護専門看護師ないしはがん専門相談員になられたのでしょうか。

今回は、坂元さんの「これまで」の部分についてお聞きしていきたいと思います。

 

坂元さん インタビュー がん専門相談員

 

本記事の目次

がん専門相談員になった理由

 

――がん専門相談員になったのは、もともとがん看護にご興味があったからでしょうか?

 

相談員になった直接のきっかけで言うと、自分がそういうことをやりたいと思っていた時にご縁があったからです。

また、実はもともと国立がんセンターで働いていたため、がん看護しか知らないということもあります。

いや、がん看護も知らないんですけど、他と比べてという意味で。(笑)

 

がんセンターで仕事をしていてたくさんの患者さんと出会ったのですが、診断を受けてがっくりと落ち込んだり人生の転機・岐路に立った患者さんたちが、なんとか自分の力や他の人の力を借りてより素敵になっていくのを目の当たりにしました

 

そのとき私は病棟勤務の看護師でしたが、「がん患者さんのがんとの付き合いは2週間の入院期間では終わらないんだな」ということをすごく印象深く思ったんです。

私が見ているのは患者さんの人生のほんの一瞬で、それまでの人生もそうですが、そのあとの人生が長いんだということを学べたと同時に、その時間の中で看護師や医師などが時に必要となることがあるということも実感できました。

 

そういう訳で、病棟の入院患者さんのケアをすることもすごく魅力的だったのですが、一生を通してがんと付き合っていく方を応援する仕事もいいなと思うようになりました。

そして、イメージとして「こんなことがやれればいいな」と思っていたところでご縁を頂いたので、相談員になりました。

 

がん看護専門看護師になった経緯

 

――CNS(専門看護師)になるには大学院を出なければなれないですが、最初に入職した病院から大学院に入るまではどのような経緯なのでしょうか?

 

最初に入った病院は、先ほど申しましたようにがんセンターでした。

そこではいわゆる「WOCナース」として、ストーマ外来や褥瘡ケアなどをしていたのですが、「もう少し患者さんの人生に沿うような仕事もいいのではないか」と思い、自分の仕事をもう一度見直すために大学に入り直しました。

それから6年大学に通って専門看護師になりました。

前の病院でストーマ外来などをやっているのも大好きでしたが、当時、もう少し幅広い仕事をやりたいという思いを持っていました。

 

――がん看護にはそれ以前から(≒学生時代から)興味があったため、がんセンターに就職されたのですか?

 

どうしてがんセンターを就職先に選んだのかというのは、自分でも明確には分かっていないのですが、看護学校の時にがん患者さんに会ったことがおそらくきっかけになっているかと思います。

今でもその患者さんとの記憶は鮮明です。

 

坂元さん、最初の「がん看護」との出会い

 

――その当時のエピソードは、どのようなものでしょうか?

 

30年以上前のことになりますが・・・

その患者さんは結石の診断で手術を行ったのですが、手術中にがんが見つかりました。

ただ、その患者さんにはがんが見つかったことを伏せていたんです。

しっかり環境が整うまでは患者さんご本人には説明をしないということを、患者さんのご家族とお話していました。

 

そうした中である日、看護学生の私が一人でレントゲン検査の説明をすることになりました。私が学生の時には、そうしたことがありました。

そして、私がその患者さんへ検査の説明をしていると、途中で患者さんが「こばると・・・?」と仰いました。

以前は一般の方が放射線治療を「コバルト」というふうに言うことがありました。

その意味は私には分かったので、「何も(患者さんには)伝えていないはずなのに、なんでそういうことをお聞きになったんだろう・・・」という風に、すごくびっくりしたんです。

 

一方で、冷静に「この患者さんとお話しなくちゃ」と思った自分もいました。ですので、こう聞き返しました。

 

「今日はレントゲンの検査なのですが、どうしてコバルトと聞かれたんですか?」

 

今思うと、よく聞いたなと思うんですけども。(笑)

すると、その方はこのように仰いました。

 

「もしかしたら、お腹を開けたときにがんが見つかったんじゃないかと思って・・・」

 

もちろんですが、すごくびっくりしました。まさにその通りでしたので。

ただ、冷静にお答えしないとダメだと思ってこう言いました。

 

「そう思ってコバルトと仰ったんですね。でも、今日はレントゲンの検査なんですよ。」

 

そう言うと、患者さんは沈黙を避けるようにベッドに座って湯呑みを右へ左へと動かしていらして。

私の方はというと、今はそうしちゃダメなんですけども、ひざまずいて患者さんの顔を見たりしていて。

患者さんは意味もなく浴衣の襟元を何度も直したりもしていました。

そうして数分経過すると、その方は唐突に、何がきっかけだったのか 「分かったわ」といったことを仰いました。それに対しては、私も「そうですか」と相槌を打っただけで。

すると、患者さんがベッドから立って移動されたので、私は病室を出ました。

 

さて、病室を出た後は、私はもーう慌てて看護師さんのところへ行って、「あのですね~!!」と。もう、しどろもどろな説明です。

看護師さんは「よく落ち着いてそれが言えたわね」と言って下さって、、、私はもう報告しただけでホッとした状態。

「あとはやるから大丈夫」と看護師さんに仰っていただいたときに、私はへなへなっと腰が砕けてしまいました。(笑)

そのあとは、時期を置いて患者さんにご病状の説明をして、という状況に移っていきました。

 

私がその患者さんと接していた時間はものの数分だったのですが、ベッドにどのように腰かけていたのか、手の動きはどうだったのか、などは鮮明に覚えています。

そんな、ケアまでもいっていない私の行動は良かったのか悪かったのか、、、

このことが頭によぎったからがんセンターへ、という訳ではないのですが、後になって考えてみると、私のどこかにこのことが残っていたからがんセンターを選んだのかなと

 

多分、これが私のがん看護の始まりではないかと思っています。

 

――なるほど。。。後から考えてみると繋がっているということはありますよね。

 

そうですね。。。

勉強が嫌いだから教育がしっかりしているところは行きたくなかったのですが。(笑)

でも、そんなところに行ってしまった。

その理由を辿ったときに、やっぱり戻ってくるのはその日の経験かなと思います。

 

坂元さんの「がん看護」と向き合う姿勢

 

――がん看護は「死」と密接にかかわる領域だと思うのですが、「辞めたい」と思ったことはありますか?

 

ないです。*

ただし、「辞めなきゃいけないかな・・・」と考えたことはあります。

 

というのも、「落ち着いているように見えるけど慌てん坊さんだから、あなた気をつけなさいね」と師長さんからずっと言われていたんです。

私自身が老けて見えるので、「新人です」と言っても、「どこからか移ってきた新人さんでしょ?」と患者さんから言われるくらいでした。

ですので、「何か大きな失敗をしでかしてしまう前に、自分は辞めなきゃ」と思っていました。

 

* 注記:坂元さんはこの言葉を即答されていました

 

――辞めまいと思う何かがあったのですか?

 

んー、、、はっきりとは分からないですね。

多分、久しい友人に会うと、「あんたが仕事続けてるの?!」と言われると思います。

 

ただ、「いついつまでに〇〇をやってみよう!」となったときには、がむしゃらにではないんですけれども、「とりあえず言われたようにやってみよう」と思える性格であることは、(続けてこれた)理由の一つかと思います。

お尻に火がつかないとやらないですが。(笑)

集中してやりだすと面白くなってきて、「あー終わった」となって。

で、次に「こんなことがあるからやってみたら?」と言われると、「あ、そうだな。じゃあやってみようかな!」とあまり考えずに乗るんです。すると、また面白くて。

 

つまり、10年後の自分を描いてやるのではなくて、わりと近未来の視点で行動してたら年月が経っちゃったという感じです。(笑)

 

大学院に進むという選択について

 

――今までにやってよかった(挑戦してみてよかった)と思うことはありますか?

 

特別に「これ」というものは思いつかないですね。

基本的には、目の前の課題に取り組むことの連続だったので。

 

ただ、大学院に進学することについては、さすがに大分考えましたね。

それまでWOCの認定看護師として働いていて、組織横断的に動くことの楽しさと同時に大変さを知っていたので、専門看護師になるともう一段階それが増すような気がしていました。

また、専門看護師は(認定看護師よりも)もう少し抽象度の高いことをやるのはわかっていたので、自分で課題を考え、自分で見つけていくことが出来るのかどうかということに関する不安もありました。

先ほどお話したように、がん看護に取り組みたいという思いはあったのですが、専門看護師になるかどうかに関してはすごく悩みましたね。

 

――何か後押しする出来事はあったのですか?

 

ありました。

その時の教授に「どうするの?」と聞かれて、「師長さんのようなマネジメント能力が必要な仕事はちょっと無理そうだし、教育者のような若い人たちを育てていって・・・というのも出来そうにないです。やっぱり現場でずっと患者さんのそばにいるような仕事が私は好きだし、看護師を続けている限りはそういうことがやりたいんです。」と答えました。

すると、「教員でもないし、管理者でもないのね!?・・・じゃあ専門看護師になるしかないわね。」と言われて。

それを聞いて、私は「そっかぁ。。」と思って。

それで決めました。(笑)

 

――それで踏み出せるのがすごいですね。なかなかリスクをとれないですよ。

 

いえいえ。10年看護師として勤めて、もう一回大学に入り直した時点でそもそもリスキーだったんです。(笑)

それこそ19歳とか20歳の子たちに囲まれていたわけですから。

 

ただ、「何かを始めるのに遅いということは無いんだな」と思ったのはその頃からでしたね。「いいんだ、いつやっても」と。

何かをやろうとするときに、面白いことというか何か惹きつけられるものがあれば、何か別の側面が思い浮かんだとしても、それはやむを得ないリスクだと思えるようになりました。

 

「出戻りの大学生」と自分では呼んでるんですけども、それをやってからは、その辺の「構え」が大分取れたかなと思います。

 

――大学に入っていたころは同級生にいろいろ聞かれたんじゃないですか?

 

そうですね。

それこそ最初は「先生に質問できなかった」とか「宿題の答え、教えてください」とか、いろいろ聞いてきてくれました。

でも、私が「自分で考えてから聞いた方がいいよ」と伝えると、調べてから聞きに来てくれるようになったり。

本当に同級生の子たちはすごく柔軟で、大きな刺激をもらうことが出来ました。

他方、若い看護師さんや教員の方は私のような存在に戸惑ったと思いますが。(笑)

 

大学入学に関して、「なぜもう一度大学に入りなおすの?無駄な時間になるんじゃないの?」と心配して下さる方もいたのですが、あの4年間の経験はすごく貴重なもので、かけがえのないものになっています。

当時、思い切ってリスクを承知で踏み出せた自分には「なかなか偉かったじゃん」と言ってあげたいですし、支えてくれた家族やさっきお話した同級生の方たちには、本当に感謝しています。

 

――そうしたエピソードなどをお聞きしていても、教職にすごく向いてそうな印象を受けますが、いかがですか?笑

 

いやいやいや、とても無理です。(笑)

 

――後進を育てたいという思いはあったりしますか?

 

そうですね。。。

何かきちんとしたものに則って育てるというよりは、現場で色んなナースたちが混ざり合ってああだこうだとやりながら伝えていく方が楽しいと思えますね。

 

 

→坂元さんの「これまで」のお話はここまで! 次回は、坂元さんの「これから」のお話へと移っていきます。

※第3回インタビューは、7/29公開予定です!

 


 

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