第1回では、主に岩本さんの現在のご活動(訪問看護ステーション所長、重症児向けのデイケア、医療コーディネーター)についてお聞きしました。
そこでは、最後にお聞きした「看護師を目指したきっかけは?」というご質問に対し、「生死への興味」という新鮮なご回答がいただけました。
第2回の今回は、そのご回答を起点として、岩本さんの過去を紐解いていきます。
特に、婦人科転院後に「看護師のアイデンティティーとはなんだろう?」と自問自答する岩本さんの姿勢からは、学ぶべき点がたくさんあるはずです!
本記事の目次
岩本さんが看護師を目指した理由「生死への興味」について
――生死への興味とは、具体的にはどういったことでしょうか?
死ぬことがすごく怖かったんです。
たとえば、テレビを見ているとよく「今日は〇〇人死にました」みたいなニュースを目にしますが、小さい時からそれに対して「次は自分じゃないか」と思ったりしていました。いつも、「死」を自分事として考えていたんです。
よく大人はあんな怖いテレビをずっとみていられるな、と。
――それは自然に思われていた・・・?
そうです。
それで大人になってから他人に聞いてみて、「そんなこと普通考えないよ」と言われて。
「え、みんな考えないの!?」と。そこにびっくりしました。
――私事で恐縮ですが、私も20歳そこそこの時に交通事故に遭って以降、死についてはかなり考えるようになりました。
人間の中で数パーセントの人は、ずっと死について考えてるらしいんです。
でも、かなり少ないみたいで。
この前講演会でその話をすると、あるドクターの方が近づいてきて、「僕もそうなんです!誰にも言えなかったんです~!」と打ち明けられたことがありました。笑
――(笑)。 岩本さんご自身は、たとえばどういうところでギャップを感じたりしますか?
そうですね、、、
患者さんが末期になったときに「死ぬと思わなかった」とお聞きしたときには、「やっぱり普通はこうだよね」と改めて思うことはあります。
――がん患者さんの場合だと、普段から死について考えている方だとショックが少ないとか、そういった傾向のようなものはありますか?
自分事になったらやっぱり受け取り方は違う気がしていて、私ももしそうなった場合にはきっと「自分は死ぬつもりじゃなかった」と思うんじゃないか、とは想像しますね。
でも、そのあとにどういう風に治療を選択していくかという点には関わるような気はします。
初めは助産師として産科に就職
――助産師も生死にかかわると思うのですが、助産師に入職された理由にも関わっていますか?
はい。ただ、もともとはホスピスに行きたいと思っていました。
しかし、その頃はホスピスが本当に少ない時代でしたし、いざ就職したいと思って電話で病院に問い合わせてみると、「5年は看護師としての経験を積んでからでないと入れません」と言われたんです。
私はそれまでホスピスに入れるものだと思っていましたので、それがダメだとなって「どうしよう」となって。
でも、自分の中で、普通に看護師になるというイメージがあまり湧きませんでした。
それで、(「生死にかかわるかどうか」という意味で)あまり遠くない助産師になるという選択をして、もう一年助産師学校に通ったのちに就職しました。
「ホスピスへの興味」から婦人科の看護師へ
――非常に強い動機ですね。。。 その後、産科で3年間働かれたのちに一度退職されたそうですが、どんな理由からでしょうか?
私の興味関心が「生死」にあると再確認したことにあります。
私が勤めていたのは、産科の単科(=産科しかない)の病棟でした。
ただ、大学病院だったこともあって、死産や流産、中絶など色んな経験をしました。
「生まれる」ということがメインの科でも、亡くなる現場を見る機会がたくさんありましたし、何より私はそうした現場にあたることが多くて。笑
それらを経て、やはり私の興味はそちらの方にあるんだなと思ったため、3年経ったときに一度辞めました。
その後、「ホスピスに行くためには看護師経験が必要」とのことでしたので、看護師として勤務するために転院したというのが経緯になります。
――産科で勤める以前と比べて、身近な人の「死」を体験する機会が増えたと思いますが、それまでとどういった変化がありましたか?
就職以前は私が小学生の時に祖母を亡くした経験がありましたが、産科では小さな生まれてくるべきだったお子さんが亡くなるので、また別の話にはなりますね。
それに、私が勤務していた当時は一般的には「お子さんが亡くなっても次に目を向けていきましょう」という対応が多かったんです。
でも、親は自分が思っていた未来を無くすわけですから、グリーフはかなり深いもの。
今では当時のような対応は無いと思いますが、当時はご両親のグリーフにどう対応すべきかについては考えを巡らせました。
その点、高齢者の場合はある程度生きてきて、亡くなること自体は分かっていますので、「そうなるだろうな」という時が来た際のグリーフはまた違うものになります。
やることをやってこなかった後悔が強ければグリーフは深いものになってしまいますが。
産科で勤めることで、これらの違いについて実際に体験出来たというのはあります。
婦人科勤務時に「看護師」という職業に疑念。そして、楽患ねっと設立へ
――婦人科で勤められた際にはどういった所感を持たれましたか?
助産師の頃との違いを痛感しました。
婦人科に行った当初、入院してきた患者さんをお風呂に入れたり、お熱を測ったりということを勝手にやっていました。そしたらすごく怒られたんです。
入浴させるかどうかは医師の指示が必要で、体温を一日何回測るかも医師の指示が必要だと言われて。「勝手にやるな」と。
助産師って、正常な妊娠・出産であれば、自分で判断してお風呂に入れたりしてもいいんです。
また、正常なのか異常なのかについても助産師が判断して、必要な場合は医師に連絡をする。
これが助産師でした。
そういうつもりでやっていたら、「看護師は全然違う。医師の指示で働くものだ。」とガツンと言われて。
「じゃあ、看護師って何をするものなの?」という風にその時すごく思いました。
そうして、「私たちのアイデンティティーってなんなんだろう?」と思いながら働いていたんですが、一年くらい働いてもさっぱり分からなくて。笑
それで、「看護師に何をしてほしいと思っているのか患者さんに聞いてみよう」と思って色々聞いてみました。
でも、やはりケアする人とされる人という立場だと、なかなか本音を伺うことは難しくて。あと、若いペーペーの看護師から「何してほしいですか?」と聞かれてもなかなか答えづらいところもあったんだと思うんですけれども。
「こういうことして、ああいうことして」というお話はなかなか聞くことはできませんでした。
助産師の時には、年齢が近いお母さんたちが多く、それにもともとは元気な方たちなので、言いたい事をどんどん仰って下さったんです。
そうした方と、病を持って伏せていて自分がケアされる立場であると自覚している人たちではこんなに違うものなのかと思いました。
――それで楽患ねっとを始められた、と。
そうです。病院の中では患者さんの本音が分からないので、外に出て聞いてみよう、と。
ちょうどインターネットも流行り始めた時代でしたので、ネットの患者会に入って、そこで言いたい放題書かれているものを見たりしていました。
あと、大きなきっかけとしては、上智大学で開かれていたホスピスボランティア養成講座でアルフォンス・デーケン先生という有名な死生学者の方の講座を聴きに行ったことです。
その講座を受講されている方には、やはり死生学になにかしら関心がある方が集まっていて、中には患者さんのご家族の方もいらしたんですけれども、そうした方と講座以外でもお会いするようになって。
そこで知り合ったご家族の方が、自分が看取ったときにどのように思ったのかなどについて本音で色々教えてくれました。
そこで出会った仲間と一緒に、「病院ではないところで聞ける声を医療に反映することが出来れば、今の医療をもっと良くすることができる。でも今はそうして反映するシステムが無い。」という話になり、「そういうシステムを作っていくことは出来ないかな」ということで始めたのが「楽患ねっと」という団体です。
そうして、働きながらNPOの活動もすることになりました。
――その養成講座には看護師さんも来られていましたか?
私は会いませんでしたね。
――岩本さんと同じような感覚をお持ちの看護師さんは他にもいらっしゃりそうなのに。意外ですね。
みんな疲れちゃってて、外に行く余裕がないんですよ。笑
私の場合は、もやもやしながら働くほうが疲れることだったので、時間を見つけてそうした講座に行くのは楽しかったですね。
楽患ねっとでの経験から、医療コーディネーターへ
――楽患ねっとの方ではどのようなご経験を?
楽患ねっとでは、患者さんの声を医療現場に戻したいということで活動をしていましたが、なかなか直接的に声を反映するのは難しくて。
それで、「患者さんの声はどこにあるんだろう?」と考えたときに、看護学校の時に一度習ったことがある「患者会」が思い浮かびました。
それまでに出会った方の中にも患者会の方がいたり、あと、一緒に楽患ねっとを始めた方が患者会の調査をされていたこともあって。
それで、ネット上で患者団体を検索できるサイトを作って患者団体の紹介を始めました。
そのころは、ネットが広く普及しているという訳ではなかったので、患者会にアクセスする方法にも制限があったんです。
また、それと並行して、メーリングリストで仲間を集って患者さん同士をマッチングすることも行いました。
というのも、団体には一定数の母数が必要なので、母数が大きな病気の患者団体しかなかったんです。
それで、仲間を募るのが難しい病気の方はメーリングリストで追加する形をとると、中にはすごく大きくなっていって患者団体が出来た例もありました。
――すごいですね。サイト作成というと他の方の手助けも必要になったのではないですか?
その時に引っ張りこんだのが、ITコンサルをやっていたうちの旦那でした。笑
その当時は結婚してなかったんですけれども。
――そうしてご活動されている中でお感じになったことはありますか?
自分の仲間を探したい患者さんをマッチングしていると、患者さんたちが「なぜ仲間を探したいか」というご意見を送って来られる機会が多くなりました。
その文面は、「病気、病院、治療法などに悩んでいるから、仲間を募って相談したい」というもの。
ただ、その文中の「だから相談したい」というのは言ってみれば“付属”で、「実はこういうことに悩んでいる。だから相談に乗ってくれないか」という形で悩みを打ち明けるメールがたくさん来るようになってきました。
楽患ねっとネットの中では医療者は私一人だったので、出来る範囲で返事をしていたのですが、医療情報を提供するにはただメールを見て返事をするだけでは責任が伴わないですし、これを続けるわけにはいかないと思いました。
あと、看護師として話をしていったり医師先生との間を取り持ったりと、普段の業務でやっていることを患者さんと一緒にやっていけば、わざわざ仲間を探さなくても患者さんの困りごとを解決する手助けが出来るのではないかと思うような例が何件かありました。
自分が患者さんと直接お話する、あるいは、患者さんと一緒に医師と話をするといったことが出来ればもっといいんじゃないか、と。
そういうわけで、「これは看護の仕事そのものなんじゃないか」と思うようになったんです。
結局そうした困りごとって、治療法や療養場所など「決められないものを決めるお手伝い」をすることで、今では「意思決定支援」と呼ばれるものです。当時はそう呼ばれていませんでしたが。
その活動は、たとえばどこかの病院に属したりしていると、そこの職員としての責任も発生しますので、病院を退職し、2003年に医療コーディネーターと名付けて、独立して活動するようになりました。
訪問看護ステーション立ち上げへ
――それから2010年の訪問看護ステーションの立ち上げまで約7年。どのような経緯で訪問看護に展開されていったのでしょうか?
医療コーディネーターの活動では、やはりがん末期の方が多かったので、ご相談いただいた方に緩和ケア病棟を紹介したりしていました。
ただ、家に帰りたいという方がいた場合に、24時間対応で緩和ケアの出来る医師や訪問看護ステーションがすごく少ないという現状を目にしました。
つまり、(家に帰るという選択は)選択肢としてあるはずなのに、受けてくれるステーションが足りなかったんです。
自分が足立区に住んでいたことから、訪問看護ステーションを探したのですがどうやら足りなさそう。
なら、自分たちが作ろうということで、訪問看護ステーションを立ち上げました。
なんだか、いつもそんな感じですけど。笑
あとは、先ほど申しましたように、がん対策基本法が出来てがん相談が充足してきた部分もあり、他のことに費やせる時間も増えてきていたこと、自分でも緩和ケアを実践としてやりたいという想いがあったこと、それから、出産が一段落したことでもう少し仕事の幅を広げたいと思ったことなども、訪問看護ステーション立ち上げの理由です。
※いよいよ「いま」の訪問看護ステーション立ち上げの経緯にまで迫ったところで、第2回はここまで。岩本さんの「これまで」のお話、いかがでしたでしょうか。
第3回は本インタビューのクライマックス。意思決定支援に関する実践的なお話、看護師としての軸が定まった患者さんとのエピソード、そして今後の活動指針と、非常に勉強になるお話が怒涛のごとく押し寄せてきます。是非最後までご覧ください!
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