≪著者プロフィール≫ ラプレツィオーサ伸子
日本の大学病院で看護師として勤務後渡米、現在アメリカ人の夫、3人の子供と犬の世話に奮闘しながら、在宅ホスピスナースをしています。
少しでも日本のホームケアの発展に貢献したく、ここアメリカ東海岸から、在宅ホスピスの生の情報をお届けしたいと思います。
「ホスピスナース」として
私がホスピスに強く興味を持った直接のきっかけは、大学院でがん看護を学び、現在勤務するホスピスで実習をさせてもらった時、アメリカの在宅ホスピスの実際に触れた事でした。
それから訪問看護師として1年以上現場を経験し、在宅ケアの究極のゴールは、やはり「看取り」だと感じたのです。
また、日本の病院に勤務していた時も、ALSなどの神経難病の患者さん達が何年もの入院生活の末、自宅に帰ることなく亡くなっていくのをみて、本当はこの人達も自分の家で最後の日々を過ごしたかったんじゃないかといつも心のどこかに引っかかっていました。
そして、そうした思いがいつしか私をホスピス看護へと導いていったのです。
(※)より詳細な経緯についてはこちらの記事をご参照ください
→「わたしがアメリカで在宅ホスピスナースになるまで」
「ホスピスナース」と表明することへの抵抗感
さて、看護師をしている人なら誰でも、「大変なお仕事ですね」と言われた事があるのではないでしょうか?
そんな時、あなたはどんな風に答えますか?
実はわたしがホスピスナースになった当初、自分がホスピスナースである事をあえて言わない時期がありました。
というのも、私が「ホスピスナースだ」と言った後の、相手のリアクションにどう対応したらよいのか分からなかったからです。
私がホスピスナースだとわかると、たいていの人は一瞬言葉に詰まり、それから「それは素晴しいですね。きっと、とても特別な人なんでしょうね。」と言ってくれるのです。
しかし、それに対し、「そうなんですよ」とも「そんな事ないですよ」とも言えず、なんとなくぎこちない空気が生まれてしまう事が少なくありませんでした。
そして、そんな風に相手を困らせてしまうことに申し訳ないような気がして、「だったら、ただナースということで適当にお茶を濁しておいた方がよいのかな」と思うようになっていたのです。
ではなぜ、いまのわたしは「ホスピスナースです」と自信を持って言えるようになったのか。
ホスピスそのものに対する根源的な考え方を含めて、振り返ってみたいと思います。
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