日本を代表するホスピスナース、京都大学大学院の田村恵子教授のインタビュー記事第1回です。
田村先生は、2008年にNHKの『プロフェッショナル仕事の流儀』で取り上げられたことで一気にその名が世に知られることとなり、2012年にはドラマ『奇跡のホスピス』のモデルにもなったお方。
約30年に渡る臨床経験を持ち、がん看護専門看護師の草分けとしてもご活躍された田村先生に、約3時間みっちりとお話を伺えました。
他では滅多に見られないロングインタビュー(全5回)を、ほぼノーカットでお届けする本シリーズ。
まずは、現在のご活動内容からスタートです!!
田村恵子先生プロフィール
≪ご経歴≫
1978年 四天王寺女子短大保健学科卒
1980年 高槻市医師会看護専門学校卒
1987年- 淀川キリスト教病院勤務
1990年 佛教大学社会学部社会福祉学科卒業
1996年 聖路加看護大大学院前期博士課程修了
1997年 がん看護専門看護師取得
2006年 大阪大学院医学系研究科博士課程修了(医学博士)
2008年 NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」
2012年 ドラマ『奇跡のホスピス』でモデルに
2014年- 京都大学大学院医学研究科人間健康科学系専攻 緩和ケア・老年看護学 教授
≪ご著書≫
・『余命18日をどう生きるか』(朝日新聞出版)
・『また逢えるといいね ホスピスナースのひとりごと』(学研)
・『看護に活かすスピリチュアルケアの手引き』(青海社) など
田村恵子先生の教員としてのご活動
――現在、京都大学教授としてどのようなご活動をされていますか?
京都大学人間健康科学系専攻の臨床看護学講座を受け持っており、緩和ケア・老年看護学分野で教員をしています。
名称からも分かるように、緩和ケアが主たる教育内容です。
臨床看護学講座というのは、学部生向けの講座として、成人看護学と老年看護学を担うものになります。
一方、緩和ケア・老年看護学分野というのは、主に大学院生向けに教育している分野として認識して頂けると良いかと思います。
――学部生向けにはどのようなことを教えているのでしょうか?
学部生につきましては、1年生には「共通科目」と呼ばれる授業を担当しているくらいでそこまで密着して関わることは無いのですが、2年生あたりから少しずつ成人看護学や老年看護学の授業をしていきます。
3年生になると、徐々に専門的になっていき、学内演習が始まります。
私が担当しているのは成人の慢性期や老年の患者さんで、体の中で何が起こっているのか、どんな問題点があるのか、どんな看護計画を立てていくのか、どういったケアを行うのか、といったことを前期で教えていきます。
後期になると、「各論実習」と呼ばれている「病院実習」を行います。
具体的には、慢性期、クリティカルケアと言われるいわゆる「急性」の領域、精神看護、母性看護、小児看護の5つの実習で、9月の末から2か月間、学生70名が主に京大病院で実習するのをサポートしています。
4年生になると、緩和ケア論の講義を5月の連休前までに行います。
保健師コースを専攻した学生は、それからは保健所や地域の実習へと移っていきます。
また、4年生にはゼミの配属が決まるのですが、この分野では教員が私1人しかいないので、大学院生のゼミに参加してもらう形をとっています。
そこでは、先輩たちがどのようなことを考えているのか、英語論文を中心にどのように読んでいくのか、といったことを体験してもらうという感じです。
その後は、7月・8月で卒業研究の計画書を書き、9月・10月あたりでデータをとり、12月には発表するのをぐっと後押しする形になります。
あと、緩和ケアチームの見学に行ってもらうなど「統合実習」のコーディネートをしたり引率するのも仕事の範疇です。
これらが学部生に関する仕事になります。
――これらをお聞きしただけでもかなりハードスケジュールですね。。。さらに大学院生への指導も入るのですね。
そうですね。
大学院生に関しては、修士と博士がありますが、修士はコースカリキュラムがあるので、それに則って進めていく形になります。
ゼミの時間では、ジャーナルクラブ*として、順番に論文を読んで発表してもらっています。
* ジャーナルクラブとは?:新しい文献を読んで新しい知見を発表していくこと
一方、博士に関しては、すでに修士号を取っていますので、基本的な看護研究に関しては習っているものとして、自分でクリニカル・クエスチョンからリサーチ・クエスチョンに昇華していってもらいます。
ジャーナル・クラブでは、自分の研究領域に関する新しい知見を読んできてみんなにプレゼンするというのを月に2回ほど、17時30分から2時間~2時間半くらい行っています。
ただ、それだけでは学生の人数が多くて時間が足りないので、3か月に1度、土曜や日曜の9:30から17:00くらいまでゼミを行っています。
また、臨床看護学講座には私とは異なる分野もあるので、その先生方と協力しながら、臨床看護学講座に入ったM1の学生を対象に、看護理論や看護哲学といった分野の授業を4月~6月頃に毎日2時間弱ほど行っています。
なお、研究方法に関して補足的に申しますと、京都大学には統計学のスペシャリストが大勢いらっしゃるので、求めれば学習の機会はたくさんあります。
しかし、私自身の研究方法が現象学を使ったもので、その分野については(学生たちは)なかなか触れる機会がないので、私の博士課程の先輩方に来てもらい、月に一回抄読会をしています。
ですので、、、かなり忙しいですね。笑
――いや、ほんとにそうですよね。。。
本分なので当たり前なんですけどね。
それだけで1年追われて過ぎているという感じです。笑
田村先生ご自身の研究テーマについて
――田村先生ご自身の研究テーマ・ご活動についてはいかがでしょうか?
1つ目は、今までずっと行ってきたスピリチュアルケアの研究です。
現在、アセスメントシートの開発まで進んでおり、妥当性も検証されています。
今後は、実際にアセスメントシートを学習した看護師さんが、その考えに基づいてケアをしたら患者さんの気持ちが楽になるのか、苦しいことが和らぐのか、といったいわゆる「介入」の研究をしていくのが大きなテーマになります。
博士の1年生がパイロットスタディを終えたところなので、これから半年位かけて、介入方法をどうするのかという点を詰めていくことになります。
介入するとなると、プロトコルがしっかりしていないとダメなのですが、そのあたりはパイロットをすることで課題が見えてきている状態です。
そこが詰まれば、多施設共同研究で大きな数—―出来れば200-300くらい取れたらいいですね。
それで初めて、そうしたツールがある意味が世の中的に認められます。
2つ目は、「ともいき京都」という活動です。
これは、梅田恵さんも一緒に行っている活動で、京町屋をお借りして行っています。 (※梅田恵さんインタビューはこちらから!)
コミュニティで暮らしているがん患者さんを対象にその人たちが集まって自分の体験を話したり、自分が持っている力をもう一度考えたりだとか、そういう場作りをする活動になります。
東京で言えば「マギーズ東京」のような活動です。 (マギーズ東京共同代表の秋山正子さんのインタビュー記事はこちら!)
ただ、残念ながら日本で行われているこういったプログラムは、経験則で出来上がってきています。
それはそれですごく大事なことだと思うのですが、「本当に目的に合ったことをしているのか」という部分を研究したものはないので、そちらを進めています。
実際に、今年から博士課程に入る学生が修士論文で、「がんサバイバーの人たちが持っている生き抜く力をどの様にケア提供者が捉え、サポートしているのか」ということについて研究を行いました。
ですので、今後はこうしたプログラムの効果についての検証を行っていきたいと思っています。
もう1つ重要なのが、「ダイアローグ」(対話)をキーワードとしていることです。
ダイアローグを進めていくためのスキルを高めることや、集まる方々の対話を促進させることもさきの研究も含まれています。
おそらくこれは数年かかると思いますが、これら2つを進めていくのが研究の目標になります。
――「ダイアローグ」を研究テーマとするというのは非常に難しいことだと思うのですが、どうしてそのような研究をされているのでしょうか?
たとえばディスカッションの場合だと、「合意形成」が1つの目的です。
通常の私たちの「話し合い」だと、「そうそう、それが一番いいよね」と決めていくことがゴールです。
もちろんそれも必要です。
しかし、がん患者さんががんと一緒に生きていくためには、周りの人と「合意形成」することではなく、「自分の生き方に自信を持つことが出来る」ということが重要だと思っています。
ただ、「自信を持つ」というのも色んなパターンがあって、「私はこれでいい」と言って周りの意見を全然聞かないタイプの方がいれば、色々聞いてから決めるものの自分の芯がはっきりしていないタイプの方もいる。
でも、(「がん」というのは)みんなそれぞれ自分の生死に関わることです。なので、その人なりの考えがきっとある。
私は、その部分を自分だけの体験で置いておくのではなく、もう少し他の人に伝わるといいと思っています。
つまり、「がんという体験をしたからこそ、こう思うようになった」といった部分です。
それがシェアされることで、「実はあの人ああいう風にしたらこんな結果が出たんだ。それだったら私の考えって・・・」など、そもそもの自分を問い直すことが思考の中で出来てくれば、その人にとってより良い生き方を掴めるチャンスが拡がるのではないか、と思ったんです。
ですので、ここでの「対話(ダイアローグ)」の意味は、今流行りの言葉としての「カフェ」だとか「合意形成」という意味ではなく、「相手の考えを聞きながら「私はこれでいいのだろうか?」ということをもう一回問い直してみる」という意味になります。
実際の治療でも、「初期治療が終わりました」「再発しました」「治療が出来ません」というように局面にぶつ切りにされていて、うまくその人の人生が一本の筋になっていないような気がしています。
それは、私がターミナルで患者さんの最期を見たときに聞いた、「なんでこんな風になってしまったんだろう」「早く死にたい」「迷惑かけてばっかり」といった言葉に表れていて、それらはもちろん他人に対する優しさという意味では必要だとは思うのですが、とどのつまりに「生きていても意味がないから早く死にたい」と思ってしまうのは何か切なすぎますよね。
ですので、もっと自分が生きてきたことに誇りを持ってほしいと思うと同時に、そういうことを目指していく話し合いの手法として「対話」がいいと思って、そこにこだわっています。
これ(※対話によって一本につながっていくこと)は本当に地味な作業ですが、自分が生きて大事にしてきたことを何か次のステップに活かすことに繋がればと思っています。
――このインタビュー(対話)でも、田村さんの言葉に触れることで、もしかすると読者の方の人生が変わったりするかもしれません
そうですね。
「ちょっと自分が思ってたのと看護師さんの仕事って違うなぁ」とか「がん患者さんたちってそんな思いなんだ」とか「がんになるってそんなに怖いことではないんだな」とか、そういう思いがこの機会を通して起きてくるといいとは思いますね。
そういう意味でも、(合意を目的とする)「話し合い」ではなく、「対話」という言葉にこだわって進めていきたいですね。
田村先生の現在の臨床でのご活動について
――私の勝手なイメージとして、大学教員は現場にはあまり出ていらっしゃらないと思っていたのですが、現場の方にもよく出ていらっしゃるのですね
そうですね。火曜日、それから何もなければ金曜日も一日臨床に出ています。
火曜日の午前中は、緩和ケアチームのカンファに出て一緒にラウンドをします。
午後からは、がん相談支援センターでピアサポートのお手伝いをしたりだとか、「緩和ケアに関する詳しい情報が欲しい」「カウンセリングをしてほしい」といった方のご対応をしています。
あと、京大病院の小児科が小児がんの子供たちの治療を積極的にしているというのがあり、そちらにも関わっています。
実は、京大病院に来る小児がんの子供さんというのは、通常の病院では治療が難しいと言われた子供さんが多いのです。
市中病院でも小児がんの治療は出来るのですが、そこで治る子供たちはそこで治療をうけます。
ですので、大学に来てから、小児がんの子供や親や病棟へ関わることがすごく増えました。
ただ、「小児」というのはまだ私にとっては初めての経験です。
ちょうど昨日、がんだけではない「病児」の兄弟やお母さんをどうサポートするかについて活動しているNPOの方々がいらっしゃいました。
お母さんたちの悩み、病気のことや兄弟のことをお聞きしていますと、そこであまりケアが出来ていないんだと思いましたね。
今は、「子供に関してこれからチャレンジしないといけないことがいっぱい見えてきたかな」という段階です。
幸いにも今では小児の先生方とも親しくなり、小児科は結構出入りさせてもらっていて、ケアに関するお話をたくさん伺っています。
――いわゆる「グリーフケア」のようなこともしていらっしゃる、と
はい、お手伝いしています。
去年はがん相談支援センターのスタッフと相談して、「この人に」と思った方を講師としてお呼びしながらグリーフケアのセミナーで半年間勉強しました。
このセミナー開催をきっかけとして、私が大学に来てすぐぐらいの頃に、「自分もグリーフを体験しているから他のお母さんにグリーフケアをしたい」というお母さんたちが会を開くということで、一度足を運んだことがあります。
そこでは、「ケアがしたい」と言っているお母さんたちの方にもまだケアが必要だということが分かりました。
「この人たちをこのままにしていたら危険だな」と思ってお話したのですが、、、言ってみれば(そうしたお母さんたちは)「善意の塊」なわけですので、私とお話したときに「なんでそんなやる気を削ぐようなことを言うの?」という雰囲気になったんです。
「これは難しい」と思った私は、「もう少し勉強してからにしませんか? 自分も傷つくし、相手も傷つく可能性がありますよ」ということをお話しました。
それから半年経ち、「まだまだ自分の心と向き合うことが必要」だとか、肩にすごく力が入っていたことを自覚する方が増えてきました。
最近(※2016年の7月)またお会いしたのですが、「以前よりも和やかな気持ちで出来た」とみなさん仰っていました。
それをお聞きして、正しい知識を身につけて、自分も含めて周りの人をケアするのはすごく大事だと実感しました。
こうした取り組みもあり、かなり臨床にも入っているんです。
――ともいき京都の場合は患者さんご本人、小児の場合はご家族の方、という解釈をすれば、すごく近いものを感じます
そうですね。
小児に関しては、「STAND UP!!」と言って、小児がんを克服した子供たちの会があるのですが、そちらのメンバーの方も(上記の集まりに)いたりして。
「ともいき京都」でも、場所を提供しようとの趣旨で「AYA世代ミーティング」というのを3か月に1度開いています。これは当事者の方々が運営しているんですけども。
私自身、このつながりで小児がん体験者の方と直接話し合える機会があり、それまでとは全然違ったものを感じていたりします。
田村先生の「ヒトデ」のような成長過程について
――「全然違ったもの」というのは?
私がもともと専門にしていた「がん看護」そのものが全然違う広がりをしていると感じています。
私自身病院で20数年働いていたので、ある程度「枠」があって、その「枠」を越えてまでというのは現実的には難しかったですし、「枠」(※病院)の中で何が起こっているかというのは大体把握していました。
しかし今は、そうですね。。。「ヒトデ」ってありますよね?
イメージ的には、「ヒトデ」のように形がどんどん変わりながら大きくなっているという感じです。
バシッと決まったものが大きくなっているというわけではなく、不規則に姿を変えながらも、全体的には中身が伴って少しずつ大きくなっている状態だと思っています。
――例えに乗っかると、ヒトデの真ん中にあるものは何でしょうか?
私の「がん看護をしてきた経験」です。
その部分は変えようがないものであり、仮に「変えたいな」と思っても変えられないものです。
大学に来たときは周辺部分が薄かったと思うのですが、今は核の部分がちょっとずつ大きくなっているので、実質を伴った「ヒトデ」になっているという感じでしょうか。笑
端の方はまだ透けて見えるぐらいの知識しか無いですし、透明度が高すぎると思うのですけれども。
ただ、真ん中の部分はちょっとずつ膨らんでる感覚はあります。
――田村先生が透明だなんて仰られると、私なんてもう全部透明です笑
(笑)
でも、みんなそれぞれ自分の核になるところを作っていくのも仕事ですので。
私自身も、より実質を伴う「ヒトデ」になっていきたいと思います。
→次回は、「なぜ京大教授に? ~教授公募の裏側、田村恵子と現象学~」!
主に田村先生の京大教授就任の経緯について伺っていきます。
★ここまでで分からない用語はありませんでしたか? そんな方は・・・
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