わたしがアメリカで在宅ホスピスナースになるまで byラプレツィオーサ伸子

 

就職という壁

 

わたしが大学院を卒業した年は、当時のビル・クリントン政権のヘルスケア改革のため、すでに看護師の就職氷河期に突入していました

加えて、外国人ナースが就職する為にはグリーンカードを取得するしか道はなく、その為にはスポンサーになってくれる雇用主が必要でした。

※グリーンカードは、アメリカでの「外国人永住権」の証明書のことを指します。

 

リストラや新卒ナースの就職難の中、わざわざ外国人のスポンサーになってまで雇ってくれる所などそうそう見つかるはずもなく、何とか面接にこぎつけても、グリーンカードの話になるとにべもなく断られていました。

しかし、ほとんど諦めかけていた頃、何とか小さな訪問看護事業所に就職する事ができ、ついにアメリカで、訪問看護師としての第一歩を踏み出すことになったのです。

 

ただし、その事業所ははっきり言えば、今でいう「ブラック企業」のような所で、労働条件は酷いものでした。

元ナースの母がオーナー、一人息子が社長で、殆ど実務経験のないインド人のナースがディレクター、50代後半のベテランナースが看護師長、ナースは私を含め3人でした。

しかし、それでもホームケアのイロハを学び、アメリカ人の様々な生活環境やその状況を知ることができたのは本当に良かったと思います。

結局、その事業所におけるグリーンカード取得は土壇場でキャンセルされたのですが、その時は今の夫と婚約していたので、結婚を少し繰り上げることで、婚姻によってグリーンカードを取得する事にしたのです。

もちろん、ブラック企業とはオサラバしたのでした。

 

「home care」の画像検索結果

 

いよいよホスピスナースに!

 

次に就職したのが、現在勤務しているホームケアホスピスでした。

理由としては、

①訪問看護を実践するうちに、在宅ケアの行き着くところは、やはり「看取り」だと感じていたこと

②大学院時代にここで実習をしたことがあり、ぜひこのホスピスで働きたいと思っていたこと

これら2点が挙げられます。

 

ここは総合病院の訪問看護部の中のホスピスチームです。

主体は在宅ホスピスですが、分院にはホスピス病棟(全19床、小児ホスピスが3床)があり、本院ともう一つの分院にもホスピス専用ベッドが何床か確保されています。

※私が就職した当時はホスピス病棟はなく、小児ホスピスも行っていませんでした。

ホスピスナースとしての最初の半年は、疼痛コントロールやその他の症状緩和、死の過程と喪失へのサポートなど、学ぶことが山のようにありました。

同僚や上司、また、ホスピスメディカルディレクターにしょっちゅう教えを乞う日々でした。

 

しかし、幸いこのホスピスでは勉強会が定期的に行われ、また週に1度のチームミーティング* で、各ケースの報告やそれについてのディスカッションやアドバイスを受けることができ、自分のケースのみならず様々なケースの報告を聞くことで、驚くほどの情報と知識を得ることができました

* ナース、ソーシャルワーカー、チャプレン、メディカルディレクター、ボランティアコーディネーター、ホームヘルスエイドのディレクター、セラピーのディレクター等が集合していました

その頃はホスピスの数もあまり多くなかった、つまり、今ほど競争が激しくなかったこともあり、新人教育に対する余裕があったのだと思います。

 

他にも幸運はありました。

たとえば、フィラデルフィアにあるがんセンターで催された4日間にわたるホスピスケアセミナーに出席させてもらうことができたことです。

そこでは、看護以外のチームメンバーの役割、ホスピスとは「チームアプローチであること」をしっかり学ぶことができたのです。

このようにして、わたしのホスピスナースとしての人生が幕を開けました。。。

 

おわりに

 

今回ははじめての投稿ということで、わたしがホスピスナースになるまでの経験をざっくりと記させていただきました。

紆余曲折しながらも幸運が重なり、今では念願だった訪問看護に携わり、天職だと思えるホスピスナースになったわけですが、人生は七転び八起き。

失敗したり恥をかいたり、青くなったり赤くなったりしながら今に至っています。

 

この度、そんなわたしのホスピスナースとしての経験のあれこれを、日本のナースの皆さんにお話しする機会を頂きました。

アメリカに来た当初の、「アメリカで学んだ事を、ぜひ日本のホームケアの発展に役立てたい」という目標を満足に達成することまではまだできていません。

しかし、せめて私の経験をシェアすることで、少しでも多くのナースに訪問看護や在宅ホスピスの素晴しさを知ってもらい、興味を持って頂けたら、これ以上の喜びはありません。

何より、ホスピスナースとしての私を育ててくれた、多くの患者さんやご家族への恩返しになるような気がしています。

 

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