「それでも現場で看護がしたい。」アメリカでのホスピス体験 (ベテラン編)

 

オバマケアという試練

 

時の流れとともに、社会は変化します。

アメリカの場合、大統領が代わると社会の流れも大きく変わってしまいます。

社会が変わると、人々の意識も変わります。

そして、組織というものはその変化に対応し、順応し、先を見越して自らを改変する事で生き残ろうとします。

 

もちろん、医療組織も例外ではありません。

2010年に可決されたAffordable Care Act (医療保険改革法:通称オバマケア)が医療業界に与えた影響は、1993年のクリントン政権によるヘルスケア改革案のそれよりも、格段に大きなものでした。

そしてそれは、在宅ケアやホスピスにとっても、厳しい時代の幕開けでした。

 

メディケアによる医療報酬は年々減少。

同時に必須条件や報告義務、ペナルティ項目等は増大。

要するに“少ないお金でもっと働け”モードが火を見るより明らかになっていったのです。

 

チームミーティングで、追加された条件や軽減されたサービスなどの通告をするたびに、上司は何とか前向きな姿勢を保とうとしていましたが、業界全体を包む灰色の雲の影は、濃く、大きくなっていくばかりでした。

 

最前線で患者さんと家族に向き合う私達スタッフの一番の悩みは、こうした変化によって実際の看護以外の業務に費やす時間が増えたことでした。

それは病院や診療所の医師にとっても同じで、患者さんを診る時間よりもコンピューターを見ている時間の方が多くなってしまったのです。

 

これはまさに本末転倒で、それでも勤務時間内に全てを終える事は不可能なほどでした。

ナースの中には、この記録やオーダーなどを含むコンピューター業務にとられる時間の長さに耐えられず、“ケアそのものは好きなんだけど...”と、涙を呑んで転職する人もいました。

 

いつの間にか、私はチームの中で一番の古参になっていました。

それでも年齢的には若い方ではありましたが、新しいメンバーにいかに時間を掛けずにコンピューター業務を終わらせるか、ちょっとしたコツなどを教えたり、上司には訊きにくい“馬鹿げた”質問に、いつでも電話やメールで答えられるようにしていました。

 

しかし、業務が厳しくなるにつれ、チーム全体が少しずつ疲弊していくのを、残念ながら誰も抑える事ができませんでした。

 

画像出典:bphope.com

 

孤児になる

 

そんな時期に追い打ちをかけたのが、上司の引退でした。

 

彼女が手塩にかけて育てたホスピスチームは、かろうじてそのクオリティーを保っていましたが、あちらこちらでほつれ始めていました。

そして、彼女の引退が口火を切ることとなり、彼女の後を引き継いだ上司も1年で引退、更に、長い間彼女たちと一緒に私達を支えてくれていたチームリーダーも、近隣のホスピスに引き抜かれていったのです。

 

その後2年近くはホームケアの上司が一時的に兼任していたため、私達は2年近く正式な上司を持ちませんでした。

まるで捨てられた子供達とその養父母のような状態が続きました。

 

私達は何とかチームを維持し、ホスピスナースとしての誇りと情熱を保ち、今までのような質の高いケアを提供し続けようと、支え合い、励ましあい、養父母たちと話し合おうとしました。

しかし、私達の運命を決定付けたのが、本院を主体とするヘルスケアグループの合併でした

表面上は「吸収合併」ではなく「パートナーシップ」でしたが、その規模の大きさから、私達が別の組織の一部になった事は明らかでした。

養父母たちは組織の方針に沿って事を運ぶのがその役目であり、孤児達の叫びを聞いているフリをしているだけでした。

 

彼女たちはホスピスと一般のホームケアを全く同様に扱い、ホスピスの独自性、自立を促していた今までのシステムを片端から改定していきました。

オフィススタッフの仕事の効率と患者訪問数の生産性を何よりも優先し、サービス利用者の満足度とケアの質の高さの目標維持、必要物品の制限と管理による無駄の削減を強調しました。

そこにはスタッフの教育、満足度、心身の健康というものが砂の粒ほども見られませんでした。

 

私は意を決し、「スタッフが疲れていたら、良いケアを提供する事ができるとは思わない。スタッフの満足度はそのまま利用者の満足度に繋がるはず。その点をどう捉えているのか?」と発言しましたが、まさに焼け石に水、一瞬でジュッと蒸発してしまいました。

 

▶ 次ページへ:「それでも現場にいたい」

 

関連する記事


「わたしはホスピスナースです」という自己紹介の意味 byラプレツィオーサ伸子

看護師をしている人なら誰でも「大変なお仕事ですね」と言われた事があるのでは?そんな時どんな風に答えますか? 実はわたしは、ホスピスナースである事をあえて言わない時期がありました。というのも、私が「ホスピスナースだ」と言った後の、相手のリアクションにどう対応したらよいか分からなかったからです。